最終話

「お前の兄貴、死んだから」
「え?」
 牢屋の外で待っていたのは衝撃的なニュースだった。

 懲役を終え、シャバの空気を堪能しようと伸びをした。青い空は不思議とどこまでも高く広く見えた。
 行く当てはない。懲役で稼いだ金もほんの僅か。
 紅谷家の誰からも連絡はなかったし、面会に来たやつもいなかった。
「は……」
 クソぼっちじゃん、寂しい。そりゃそうか、友達なんていなかったし。
 少しだけ感傷に浸ったオレの前に、静かに車が停まった。どこにでも走っていそうな白い車で、窓にはスモークがかかっているのか中は見えない。
 そんな車の助手席から降りたのは、金髪に染めた頭と大きいサングラス、ハワイかここはと言いたくなるような色とりどりの派手なシャツを着た男だった。
 そいつが言った。
「お前の兄貴、死んだから」
「え?」
 聞き返したのには二つ理由がある。
 一つ目の理由は、信じられないニュースに聞き間違いを疑ったからだ。
 そしてもう一つは、その声に聞き覚えがあったからだ。
「中で話すから乗って」
 男はそれだけ言うとバタンと車に乗ってしまった。オレが呆気にとられていると、窓を開けて男が「早く」と急かす。
 オレは守衛のおじさんにぺこりと頭を下げて車に乗り込んだ。

 会うたびに様変わりする男、銀咲イブシに驚いたが、車の中ではそれ以上の衝撃が待っていた。
「え、緑島?」
 運転席に座っていたのは、白シャツに黒のスーツを着た緑島だった。
「おつとめごくろうさま」
「え? 緑島今銀咲さんのおっぱい吸ってんの?」
「つまみ出すぞ」
 つまみ出すと言ったのは銀咲さんだった。否定はしないところを見ると、本当におっぱいを吸わせているのかもしれない。緑島は運転席でヘラっと笑う。
 兄貴の繋がりで前々から知り合いだったのは知っているが、まさかここがくっ付くなんて。性格合わなさそう。
 諸々含めて笑いがこみ上げてきたが、笑ったら殺されそうなので必死で堪える。
「兄貴が死んだってのも嘘なんですよね?」
「嘘じゃないよ」
「いやいや、ほんと……」
 鏡越しの瞳がじっと見つめてくる。
 そんなつまらない冗談笑えない。冗談じゃないなら、嘘じゃないなら、なんだって言うのか。
 鏡の中のオレは笑っていた。乾いた笑いというやつだ。
 今からでもいい。嘘だよ、と言ってくれたら救われるのに、車内は無言のままどこかへ走り続けた。

「金烏さん、車に轢かれて死んだんだよ。二年前くらいかな」
「はは、全然知らなかった」
 二年前なら当然に獄中にいた。真面目に懲役をこなして、生活態度も良くして。少しでも早くここを出たら、そうしたら。なんて呑気な事を考えていた頃にはもう兄貴は死んでいたのだ。
 馬鹿らしくなって逆に笑えた。
「せめて知らせてくれたら良かったのに」
「面会って家族しか出来ないんだよ。普通に刑務所とか近付きたくないし。それに死んだってわかったら、お前また自殺したんじゃないの?」
「……自殺なんかしないよ、オレは」
 少し考えてそういった。兄貴が死んだのは悲劇だが、それでもきっとオレは死んだりしなかった。今はちょっと、飲み込みきれなくて落ち込んでいるだけだ。
「可哀想だから、あげるよ」
 手を出して、と言われて手を出すと手のひらに置かれたのは鍵だった。ギザギザのブレードが付いたタイプの一般的な鍵で、キーホルダーとして革紐が括られている。
「それ、金烏が住んでた家の鍵。行くとこないんだろ? ちょうどいいじゃない」
「……うん、ちょうどいいね」
「これは餞別」
 鍵の上に封筒が置かれる。中身を確認する前に車が止まった。刑務所から一番近い駅で、人はまばらだった。
「俺らこのまま海外飛ぶから、もう二度と会わないかもしれないけど」
「え? ハネムーン?」
「ま、お前らみたいになりたくないからな」
 口角を上げて笑う銀咲さん。こんなに明るい人だったか、と思ったが、服も髪も明るい色をしていることを思い出した。五年でこうまで変わるのは側にいる奴の影響なんだろう。緑島は緑島で、随分しおらしい感じになっていたが。
 車を降りてバタンと扉を閉める。助手席の銀咲さんと、奥にいる緑島に手を振る。
「じゃあまた、来世で」
「もうお前のはいらねーよ」
「残念」
 来世では母乳を吸わせてあげる約束は無効になったらしい。
 車は訝しむ銀咲さんを乗せて走り去っていった。なんだかんだで楽しそうな二人が羨ましい。
 少し寂しさを感じたまま、オレは駅前のベンチに座って封筒を開ける。中には住所と簡単な地図の書かれた紙と、電車で使える電子マネーのカードが入っていた。現金でくれればいいのに。
 とにかく電車を使え、という指示らしい。これで中身が入っていなければ笑える。試しに券売機で確認すると、数千円という絶妙な金額が入っていた。恐らくは、地図の書かれた場所まで行くのにかかる分の費用なんだろう。
 自分たちは海外に行くというのにちょっとみみっちくない?という不満はあったが、なにも持たないオレに次のいく先を示してくれただけでもありがたいことだった。
 よく考えればオレの持ち物は、今もらった鍵と封筒、それから少しの現金だけだ。逮捕され刑務所に入るとその時の持ち物が押収され、保管される。刑務所から出るときに全て返されたが、オレの持ち物は服だけだった。
 それも金烏の服だ。なぜならあの時オレは全裸で、持っているものなんてなかった。その場にいた警官が、その場にあった服を適当に着せたんだろう。
 スン、と匂いを嗅いで見る。カビ臭いだけだ。そんなのはわかっているのに、心なしか金烏のにおいがする気がした。
 金烏の服と、住んでいた家の鍵。あとは思い出だけをひっさげて、オレは金烏に会いにいく。

 電車とバスを乗り継いで着いた先は、大型スーパーと田んぼや畑の混在する田舎だった。着いた頃には夕方になっていて、沈みゆく夕陽が世界を赤く染めていく。
 何もないというほどないわけでもなく、かといって商業施設は大きいものが数件あるだけで、コンビニは大通り沿いに数件あったが、バス停から二十分ほど彷徨い歩いたアパートの近くには見当たらなかった。
 地図を頼りにたどりついたのは、古くも新しくもないこじんまりとしたアパートだった。大八木荘第二と書かれたプレートは真新しく、最近ペンキが塗り替えられたのか、古ぼけた印象とちぐはぐさがあった。
 その二〇一号室が金烏の部屋らしい。二年前死んだというにはなぜアパートが解約されていないのか。ドアポストは案外綺麗に片付いている。隣の部屋は住んでいるのかいないのか、ポストいっぱいにチラシと郵便が詰まっていた。
 表札は無い。電気は消えており、ガスメーターは暗くて見えなかった。気がつけばあたりは真っ暗で、街灯は少なく、アパートの電灯は消えかかっている。
 ガチャ、ガチャガチャ。鍵はすんなりと入り、抵抗なく開いた。
 暗い部屋は、奥にある窓から差し込む月明かりで照らされていた。六畳一間の狭い部屋には畳んで置かれた布団にちゃぶ台、壁のコンセントには充電器が差さっている。
 玄関横のキッチンにはゴミ袋が置かれていて、食器類はほとんどなかった。プラごみが見えたから、きっとコンビニ弁当ばかり食べているんだろうと思った。
 何もない部屋だった。何もない部屋なのに、オレは胸がいっぱいに満たされていく。鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなる。でもまだだ。まだ、泣くほどではない。
 ひとつ、大きく深呼吸をして懐かしい感覚になる。きっと、においが記憶を揺さぶるのだろう。靴を脱ぎ、一歩進む。ギシ、板張りの床が軋んだ。
 そのとき、バイクの音が聞こえた。あたりは静かで、原付らしい排気音がひときわ大きく聞こえた。それはほど近くで止まり、ガチャガチャと降りる音がした。
 カンカンカンカン、鉄がむき出しの階段を軽い足取りで上がってくる音がする。隣人だろうか。いや、でも隣は本当に人が住んでるのだろうか?考えているうちに、足音が二〇一号室の前で止まる。
 ガチャ、鍵が差し込まれ、既に空いている鍵の手応えに動きが止まった。
 まだ心の準備が出来ていない。それでもその時は訪れるのだ。

 ガチャ、パタン。
「……ただいま、灯」
「おかえり、金烏」
 後ろから抱きしめられる温もりに、声が震えた。
 ずっとずっと、待っていた瞬間だった。

 オレが振り向くより早く、顎を掴まれキスされる。舌を絡めて息継ぎも忘れて互いに貪る。息するのが惜しいくらい、もっと深く繋がりたい。
「ん、は、っあ、」
「……かり、」
 金烏がキスの合間にオレを呼んだ。オレも金烏を呼びたかったけど、うまく喋れなかった。視界もどんどん滲んでいく。涙がほろほろと落ちて止まらなくなった。
「ん、ん、」
 小さく喘ぐので精一杯だ。鼻水まで出てきて、いよいよ本当に息が出来なくなる。溺れているみたい。キスに溺れている。立っていられないから金烏にしがみついて、それでもキスはやめたくない。
 そこでようやく気付いたのか、金烏がごめん、と笑って頭を撫でた。カチンと電気がつけられて、奥の畳まれた布団の方へ移動する。
 会って二秒でセックス。なんて情緒のかけらもない。でもその方がオレらしい。オレ達らしい。
「かなと」
 シャツが脱がせられる。オレも金烏のシャツを脱がせる。
「はっ、すげえ腹筋割れてる」
「筋トレくらいしかする事ないんだよ」
「エロい」
 金烏の手がオレの腹筋を撫でた。ぽこぼこに割れたところをなぞられると身体が震える。
 金烏も、割れないまでも引き締まった身体を晒した。
 ずっとセックスもクスリもしなかったから、余計尚更興奮した。今すぐ全部一滴も残さず、金烏が欲しくてたまらない。
「流石に穴キツいか」
「ん、ずっとしてなかったから」
 全てを晒す格好で、金烏がまじまじと後ろの穴を見つめた。そっと触れる指先がくすぐったい。
「アナニーも?」
「オナる代わりに筋トレだよ」
「オナ筋か……」
 そう言って再びオレの腹筋が撫でられる。なんだよそれ。笑ってると、金烏の手つきがやらしくなった。
「久々だから素股、なんて甘いこと言えないから」
「ふっ、オレも」
 ここにきてお預けなんて勘弁だった。裂けようが千切れようが挿れて欲しいオレに、金烏がローションを垂らす。体温より低いそれに身体がヒクッと反応するが、すぐに馴染む。
 丁寧に穴を慣らされ、少し恥ずかしくなった。
 散々使った穴だけど、またハジメテに戻ったみたい。金烏の触れるところ全てが新鮮で斬新で全て気持ち良くなる。
「は、やばい、なんか……やばい……」
「力抜いて、灯」
「うん、ん、ん、」
 そうは言っても上手く力が抜けない。金烏の指が入ってると思うと、それを味わいたい身体は穴をきゅうきゅうに締め付けて指を感じようとする。
 金烏の指の先から関節、付け根、全部いやらしく思えた。もうこれは、セックスだ。
「灯」
 金烏が空いてる方の手でオレの手を握る。指と指を絡めて握ったり離したりしてあやされる。ああ、もうこれもセックスだ。金烏のする事全部やらしくて気持ち良くておかしくなる。
「金烏、あ、も、キス、キスしたい」
 オレが強請るとすぐにくれる。少し力の抜けた穴に金烏の二本目の指が足された。ぬるぬると解され開かされていくのが心地良い。
「ふ、んっっん、っん」
 前立腺を叩かれる。その度に身体がビクビク跳ねて、忘れていた快感を思い出す。頭の中が白んで、なにも考えられなくなった。
 今はただ、金烏が欲しい。奥まで、深くまで。
「もう、挿れる」
 唇が離れて金烏が余裕無く言った。穴から指が抜かれ、熱があてがわれる。
 セックスなんて別に感動的じゃない。気持ち良くて楽しくて、それだけあればいいじゃん。
 でも、金烏が、待ち望んでいたものが来ると思うと否応無しに気持ちが上がっていく。目頭が熱くなって、期待で胸が苦しい。
「は、あ、っあ」
 声が上擦る。熱が中を押し開いていく。今でもまだ少し信じられない。
 金烏とセックスしてる。繋がってる。少し苦しくて穴が裂けそう。でもだから、夢じゃないとわかった。
「あ……あ……」
 深くまできた金烏が、中でドクドクと脈打ってる。少し苦しそうな金烏が、オレをみて微笑みキスをした。
 セックスなんて別に感動的じゃない。
 でも、込み上げて耐えきれず涙が溢れた。繋がりたいと思っていたから、今きっと、人生で一番嬉しくて堪らない。

 全て出し尽くして、心地良い疲労感にまどろむ。二人でごろんと床に転がって触れたり離れたりのキスを繰り返した。
 金烏の指がオレの後ろの穴をくちゅくちゅと抜き差しして、自分で出したものをかき出している。
「出しても出しても出てくる」
「ん、もういいよ。もうちょっと中で金烏を感じたい」
「エロいこと言うなあ、ちんこ勃ってたらブチ犯してる」
「じゃあ元気になったら犯して」
 今シたばかりなのにもう次を考えている。なんだか楽しくて仕方なかった。
「なあ、そう言えば金烏は死んだって聞いたんだけど?」
「イブシからだろ? 何て言ってた」
「兄貴は死んだって……あっ」
「そう。紅谷金烏は死んだ。お前の兄貴は死んだんだよ。今は、八多金烏」
 したり顔で言う金烏に、騙されたという怒りは湧かなかった。それよりも、その名前の意味に気付いて嬉しくなる。
「それ、オレの前の名字」
「そうそう。あと、灯もうちの親から離縁されたから八多灯に戻ったぞ」
「えっ、うそ、やばい、結婚じゃん」
「まあ俺のは勝手に名乗ってるだけだけどな」
 オレは紅谷家に養子として引き取られたが、少年院に入ったり刑務所に入ったりしたから縁組を解除されたんだろう。
「……この先灯とどうしようか、考えてた。どっかで綻んで、互いに荒れて、でも手放せなかった」
 金烏は起き上がり、壁を背もたれに座る。オレはそんな金烏の膝に跨り肩に頭を乗せた。今は少しでも金烏の体温を感じていたい。
 優しい喋り声に、まどろみは増していくから、半分夢うつつになりながら聴いた。
「お前気付いたらヤク中になってるんだもの。どうやって薬やめさせるかとか、俺も上の人らと縁切るかとか考えて。結局国家公務員に頼ることにして、刑務所送りにしたんだけど」
「うん」
「刑務所で自殺したって聞いて、ほんと冷や汗出たよ。しかも知らない男と一緒に……あの時は本当に後悔した」
「ねえ、オレが死んでたら金烏、どうしてた?」
「あと追ってたよ。つか、首吊ろうとしてた時にイブシがバーン! て扉蹴破ってさ、?あのクソガキ生きてるよ。今死んだら無駄死にも良いところだよ?って教えてくれて、ほんと危機一髪」
「もう二度と、オレの知らないとこで死なないでよ」
「灯もな」
 ふふ、とお互い笑い合って、この瞬間が愛おしくてキスをする。
「灯が刑務所から出る時はちゃんと出迎えてやろうと思って。足洗うにはもう死んだ事にするしかないってなって、事故を偽装したんだよ」
「オレ、ちょっと信じたよ」
「つーかまあ、一回マジでイブシに車で轢いてもらったんだけどな」
「ちょいちょい出てくるイブシさんがアグレッシブ過ぎて話に集中出来ないんだけど」
 あの人なら意外と平気な顔してマジで轢きそうだし、オレが仮に頼んだら割りと本気で轢かれそう。なんて想像した。
 でも今は緑島とどこかで幸せにしてるんだろう。
「助手席に緑島乗っけてたから、あいつマジで死んだと思ってて。アレは爆笑したな。イブシがバラしてないなら、今でも死んだと思ってるぞ」
「あー、確かに緑島はガチなトーンだった」
「だろ? 今度会って驚かしてやりたい」
 ケラケラと腹を抱えて笑う様子は子供みたいだった。一頻り笑うと、はあ、と息を吐いてようやく落ち着く。
「笑ったら腹減った。風呂入ったらどっか飯食いに行くか」
「風呂一緒に入ろう」
「クッソ狭いぞ」
「良いじゃん、せっかくだし」
「そうな。あ、ちんこ元気になった」
「あれだけしたのに?」
「しゃーねえ、一発やるか」
「五年分……違うな、出会ってからずっとの分、溜まってたから大歓迎」
「可愛いこと言うじゃん」
 パタン、風呂の扉が閉まる。
 気持ち良くて楽しくて、その上こんなに幸せだなんて。嗚呼、なんて最高な人生。

終わり