お化けが出たらどうすんの?!1

 ギィイ……ギシ、ギシ。
 軋んだ音を立てる扉を開き、廊下に出ると今にも床が抜けそうな音が歩くたびにする。
 大学から近く、家賃5千円光熱費5千円の超格安物件に飛び付いたばかりに、ここで暮らして一週間。布団の結界に隠れ、ガタガタ震えて暮らす日々だった。
 トイレはボットン式で、高い位置にある空気窓以外壁のそこは、狭くて暗い。昼間だって壊れかけの蛍光灯がパチパチと揺らぎ、入る事をはばかる。
 それだと言うのに、深夜の2時半。俺は今、そこに入ろうとしていた。
 うっかり見てしまった怖い話特集。お化けなんて信じてないさ。けれども、夜中にトイレに行きたくなった自分を今は猛烈に恨んでいる。

 このアパート、大八木(オオヤギ)荘、近所の住民や大学生からは通称おばけ荘と呼ばれている。古い木造で、外観は大きな一軒家だった。玄関を入ると廊下があり、一階が二つ、二階が二つの計四つの部屋に分かれている。
 トイレと洗濯機、台所は全て共用で、風呂はなく近所の銭湯に行くしかない。納得の格安物件だった。
 ここには大家が住んでいるらしいが俺はまだ会ったことがなく、他の住人もいない。
 住み始める前は、安いんだからいいだろうと思っていたが、さすがに今は後悔しかしていない。

 俺は震える思いでトイレの前にたどり着いた。トイレの扉上半分は何故か磨りガラスになっている。カチン、とトイレの電気を点けると中が明るくなった。
 明るくなった瞬間、なにか黒い影が横切ったのは気のせいと信じたい。
 トイレはいつも、銭湯に行った時に済ましていた。けれど今日は早めに銭湯に行ってしまったおかげで、夜中に尿意を感じ目覚めている次第だ。
 俺はドクドクと早すぎる心臓を落ち着けようと何度か深呼吸をするが、一向に落ち着くようすがない。
 なんなら、廊下の壁しかなく、誰もいないはずの背後に人の気配を感じている気がして余計心臓が早まっている。
「大丈夫……大丈夫……大丈夫……大丈夫」
 俺は念仏のように自己暗示を唱えながら、ゆっくりとトイレの扉を開いた。ギギギ……立て付けの悪い引き戸が嫌な音を上げるから、腹の奥が痛くなっていく。
「はあ……ちくしょう、せめて水洗トイレにしてくれたらいいのに……」
 半泣きになりながら管理者に恨み言をする。なんで今時ボットン便所なんだ。便器の中は真っ暗で、底が見えない。
 俺は便器から目線を逸らし、なるべく楽しい事を考えようとした。けれども恐怖のあまりに、楽しい事とはなんなのか、という哲学に達していた。
 引き戸を後ろ手でガタガタと閉める。いっそ開けたままにしようかと思ったが、それはそれで背後に気配を感じそうで怖かった。
 いや、扉を閉めたところで磨りガラスから人が覗いている気がしそうだ。もう何もかもが恐ろしくて、俺は早く布団結界に戻りたかった。
 布団どころか、実家に帰りたい。
「はあ、はあ、はあ……」
 妙に息苦しくなって呼吸が荒くなる。早く布団に戻りたい一心でスウェットとパンツをずり下ろし、ケツ丸出しになった。
 バン!
「ひぃいいいいっ」
 背後で音が鳴る。恐怖のあまり漏れたのは声だけではなかった。パンツを脱いでおいてよかったと思う。
 俺は垂れ流しながらそっと後ろを振り返る。
 バン!
 磨りガラスにうつる黒い人影が、窓を叩いている。
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ」
 ガタガタガタガタ。
 揺れる扉、動く人影、叫ぶ俺。阿鼻叫喚とはこの事だ。
 そんな俺の耳に微かに届く人の声。
「大丈夫?」
「ひえ……」
 ガタガタ音を立てながら引き戸が引かれ、そこには人が立っていた。丸出し大泣きの俺を見て、その人はにっこり笑った。
「驚かせ過ぎた?」

「いやあ、悪い悪い。人がいるからちょっとびっくりさせようと思って」
 その人は言いながら狭いトイレの中に入ってくる。立て付けの悪い扉をガタガタと閉めて、俺の背後にぴったりとくっついて立った。
「……?」
 人でよかったと放心していた俺はようやく今の状況に気付く。この人なんで俺と一緒にトイレに立ってるんだ。
「驚かせたお詫びに気持ちよくしてあげる」
「おおおお?!おい、おいおい、待って意味が……」
 なんだよくそほも野郎かよ、怖いのは人間でした、ってか。そんな目まぐるしい展開に困惑していると、俺の左足にヒタッと冷たい何かが触れる。
 今度は何だ……?と目線をやった事を後悔した。
「ひぁああああっ?!あっ、あ?!あ!!!」
 人は驚き過ぎると言葉も出ないらしい。
 俺の左足首を、便器の中から伸びる白い細い手が掴んでいた。
「はは、ちょうどいい」
 なにがちょうどいいのか、男は笑いながら俺のナニを扱き始める。
「幽霊が出た時はエロいことをする、これセオリーだろ」
「あっあ、あ、そんなのっ、知らないっっ」
 怖いのにナニを熱い手のひらが包み、先端をグリグリと刺激され、俺は腰が震えた。その腰を男がグッと抱き寄せ、俺をしゃがませる。
「やっ、やだっ、おばけ、おばけがっ」
 左足首を掴むおばけが触ってきたらどうするんだ、そんな恐怖を訴えるのに、男の手は止まらない。
「ほら、お前のエロい汁かけて、除霊してやんなよ」
「ああっあ、んっああっ……!」
 身体中を震わせて俺は果てた。あり得ないシチュエーションに、いつも以上に感じていた。
「ほら、おばけ帰ったぞ」
 男の言葉に足元を見ると、確かに白い手は無くなっていた。
「はあ……はあ……な、なんなんだよ、あんた……」
 おばけがいなくなってよかった。いや、そもそもおばけなんて俺の妄想の産物だったのでは?
 冷静になっていく頭で男に噛み付くように言う。
 おばけじゃないならなにも怖くない。落ち着いて考えれば、おばけの手だって、そんなものあるはずがない。今よっぽど怖いのは、この変態男の方じゃないのか。
 少し強気に出た俺に、男はまたにっこり笑う。
「おれはここの大家。大八木。まだ挨拶してなかったね」
「大家……あんたが……」
 呆然とした。大家と名乗る大八木は、まだ20代くらいで、俺の少し年上くらいにしか見えない。
 こんな古ぼけた建物の大家なんて年老いたじいさんかばあさんだと思っていた。それが自分とさして年の違わない変態だったなんて、色々と衝撃的すぎる。
「君、白谷(シロヤ)くんだろ。ところでそれ」
「え?……ひっえ」
 こうして驚くのはもう何度目だろう。大八木が指さした、俺の左足首に目をやる。すると、そこにはべっとりと真っ赤な手形が付いていた。
「うそだうそだうそだうそだ……」
 恐怖がカンストした俺は現実逃避するしかない。
 そんな俺を大八木が抱きしめた。
「どうする、添い寝してあげようか」
 どうしよう、添い寝してもらおうか。
 恐怖で混乱した頭が普段ならあり得ない選択肢を受け入れていた。
「またおばけが出ないように、エロいことして、夜を過ごそうか」
 エロか恐怖か。優しく耳元で誘いをかける大八木の言葉に、俺は心臓が早まるのを感じた。

「はあ、はあ、あ、……っく、ん、変態……」
 六畳一間の俺の部屋、狭い布団に二人でぎゅうぎゅうに収まる。収まるどころか、大八木は布団に潜り込み、俺のスウェットもパンツもずり下ろし、ナニを丁寧に舐めていた。
「んっんっん、な、んっとか、言えって……」
 大八木は無心で俺のナニをしゃぶっている。おかげでぴちゃぴちゃジュルジュルずぶずぶと言う卑猥な音しか部屋には聞こえない。
 いや、少しおかしかった。
 ジュルジュルずぶずぶ、卑猥な音は確かに布団の中からしている。それなのに、ぴちゃぴちゃという音は、どこか違うところから聞こえていた。
 布団の中しか気にしていなかった俺はそれに気付いた瞬間、背筋がゾッとした。
「あ、ん、大八木、ま、待って……」
 怖いのに気持ちいい、気持ちいいのに怖い。混乱した俺はまた半泣きになりながら大八木に縋り付く。
 そして大八木はそんな俺を気にもとめず、俺のナニにしゃぶりつく。もういっそ、そういう妖怪だったのでは?と思うくらいの執着のしようだった。
「あっ、ああっ、あっ」
 熱い粘膜に包まれ限界が近付く中、ぴちゃぴちゃと言う水音が近付いてくる。よくよく耳をすませば、ヒタ、ヒタ、ギシ、ギシと何かが歩いて近付く音もした。
 それは頭の上側からしてくる。そこにあるのは2枚ガラスの窓だけだ。月はなく、どんよりとした空が覗く。カーテンを買わなきゃ……頭の隅で呑気な俺がそんな事を考えていた。
 ぴちゃぴちゃ、ヒタ、ヒタ、ギシ、ギシ。その音は頭上で止まる。俺は目を瞑っていた。怖すぎる。何かが俺をじっと見ていた。
 ダメだ、無理だ、怖い、何かいる、布団の中でも変態がいたが、布団の外にはもっと恐ろしい何かがいる。
 いや、布団の中の変態と、布団の外の得体の知れないなにかと、どちらの方が怖いだろう。
 現実逃避をしたって、何ものからかの熱い視線が消える気配はない。
「ん、ん、ん、お、大八木、こわ、こわい……」
 怖いのに、大八木は玉を揉みしだき竿をしゃぶるから絶頂を目前に俺は腰がへこへこと動いた。
 もういい、怖いのなんて考えたくない。エロいこと、気持ちいいことを。
「ひっあ、あ、っあっイ、く、イく」
 ドクっ、と身体が震える瞬間、冷やっと頬が冷たさに晒された。そして思わず目を開けてしまう。
「っっっっっ」
 黒い長い髪が垂れ下がり、そこから覗く真っ黒の瞳が、じっと俺を見つめた。頬に触れている手は火傷で爛れたように醜い。
 だめだ、俺は死んだ。
 意識が遠退いたのは、恐怖のせいか快感のせいか。
 そんな俺を大八木が現実に引き戻した。
「んっあ?!あっ、あっ、待って大八木、も、待って、っあ」
 ぬとっとした熱が後ろの穴に触れる。新たな幽霊でも現れたのかと錯覚するが、それはどうやら大八木のようだった。
「後ろは初めて?よく解さないとな」
「ああっん、んっう、そ、あっ、あっ」
 後ろの穴を大八木が舐め解した。そんなところを舐められて気持ち悪いはずなのに、身体はビクンビクンと反応する。
「や、だっおおや、ぎ、っふ、あっ」
 それは感じたことのないものだった。柔らかい舌が穴を出たり入ったりする。気持ちいいのか悪いのか、俺にはよくわからなかった。
 それでも身体ははしたなく感じている。
 それを黒髪の幽霊がじっと見ていた。
「やっ……あっみ、ないで、見ないで……」
 急に羞恥心が込み上げていた。初めてなのに尻で感じているなんて、こんな恥ずかしい姿を見ず知らずの幽霊に見られているなんて。
 俺は今どんな顔をしている?どんな淫らに喘いでいる?
「ああっ、あ、ん、っふ、あ、あ」
 指が一本差し込まれ、浅いところを出たり入ったりする。さすがに潤いが足りないのか、深くまでは入ってこない。
 もうおかしくなりそうだった。怖いのに気持ちいい、気持ちいいのに怖い。ゾクゾクと背筋を抜ける感覚は、恐怖なのか快楽なのか。
「きついな、やっぱり。ローションとかないの?」
「あるわけないっ」
「じゃあ素股しよっか」
 布団から顔を出した大八木はにっこり笑いかけてくる。そして俺を四つ這いにさせて、後ろに膝立ちした。
「ん、大八木、幽霊怖くないの……」
「ん?いる?」
 はっとして顔を上げると、黒髪の幽霊はいなくなっていた。いつの間に……あれはやはり俺の恐怖が作り出した幻なのだろうか。
 俺がほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、大八木の魔の手に身体が跳ねた。
「白谷くんのカウパーでぐしょぐしょ」
 閉じた内股をぬるぬるの手が撫でた。これ、俺の出したカウパーなのか……。
 そこに、熱い滾りが差し込まれた。硬くて熱いそれがゆっくりと律動する。
「ふっ……う、う、」
 ぱちゅん、ぱちゅん音を立てて、まるでセックスだった。内股を、性器を擦り上げる大八木の熱に犯されている。
「はあ、はあっ……んっ、ひ、ぃぃ……」
 サッと身体の熱が引いた。上半身を支えられず布団に身体を預けて顔を横に向けると、そこに黒髪の幽霊がいたからだ。
 黒髪の幽霊も四つ這いになり、俺をじっと見つめていた。
「おっ、現れたか」
「あっあっあっ」
 大八木は嬉しそうな声で言うと、俺のナニと大八木の熱を重ね合わせ激しく擦りあげた。
「白谷くんのやらしい顔、見せてあげなよ」
「ひあっ、あっ、や、あっ、あっ」
 大八木の手が俺の顎を掴んで黒髪の幽霊に顔を向かせる。まただ、また俺はやらしい顔を晒している。怖くてたまらないのに、恥ずかしくてたまらないのに、気持ちよくてたまらない。
「ああっ、あ、っく、んんんっ」
「くっ……」
 俺が果てると、後ろで大八木が小さく喘ぐのが聞こえた。それがいやに色っぽくて、耳に残った。
 気がつくと幽霊は姿を消し、果てた倦怠感と安堵に覆われた俺もそっと眠りに落ちた。

 チュンチュンと窓の外でスズメのさえずりが聞こえた。カーテンが無く、日の光が直に差し込む部屋。目を開くと視界に入るのは、大八木が静かに眠っている姿だった。
 キラキラと光を受けて輝いてすら見える大八木。頬にそっと触れると温もりがあり、ああ、この人はちゃんと人間なんだとホッとする。
 昨夜の事を思い出すとゾッとした。
 たたみかける恐怖体験、追い討ちのような大八木との性行為。なにがどうしてこうなったのか、俺にはわからなかった。
 どこまでが夢で、どこからが現実なのか。あの怪奇現象は、ホンモノなのだろうか。
 だとしたら俺は、もう、ここには住んでいられない。
 はっと気付くと、大八木が目覚めていて俺を見つめていた。
「おはよう」
 やっぱりにっこり笑う大八木に、俺は顔が熱くなるのを感じた。
 怪奇現象もさることながら、会って初日の男とナニを擦り合うだなんて。思い出したら益々顔が熱くなる。
 幽霊が出ようと出まいと、俺はやっぱりここには住んでいられない。
「お、おはよう……」
 とりあえず挨拶を返すと、頬を触っていた俺の手を握り、大八木はキスをした。
「おれはちゃんと生きてるよ?」
 ねっとりと舐めあげられ、背筋がゾクッとする。朝から変な気分になりそうだった。
「あ、あのさ、昨日のって……」
 あれはホンモノなのか、聞こうとするけれども俺は口に出すのも嫌だった。
 あんなにはっきり幽霊が現れたりするものなのだろうか?もしかしてこの変態の悪趣味などっきりだったのかもしれない。
 だとすればそれはそれで嫌だけれども。
「信じる信じないは君次第」
「そういうの一番嫌いなやつ」
 大八木ははぐらかすように笑って起き上がった。布団が捲れて、昨日の痴態を晒したままだったら恥ずかしいと焦ったが、俺はきちんとパンツもスウェットも穿いていた。
 後片付けをしてくれたのか、下半身に嫌な感じもしない。
 結構マメな男なのか。それにあんな怪奇現象が平然と起きる中、水場に行ったり片付けたり、神経が図太いようだ。
「今日新しい人入るから。実は昨日も、それで部屋片付けてたんだよね」
「あ、そうなんだ。どの部屋?」
「トイレ挟んで反対側」
 ちゃんと大家らしいこともしているらしい。トイレでおどかされた時、どこから現れたのかと思ったけれど、部屋の片付けをしていたのなら姿を見なくても仕方ない事だった。
「おっと、そろそろ仕事に出かけないと。新しい人夜には来るから、その時紹介するよ」
 大八木はまたあとで、と言うと部屋から出て行った。
 大八木がいなくなると部屋はシンと静かになる。不思議なもので、日の光があるだけで昨夜の恐怖はどこか嘘のようだった。
 何度も何度も、昨夜のことは全て嘘なんじゃないかと思ってしまう。おばけも、幽霊も、全部嘘なのでは。
 そんな俺を裏切るように、左足首にはあざのような黒い手の跡が残っていたし、鏡の前に立つと頬にも手形が付いていた。
 顔の手形は見間違いなのか一瞬で消えたけれど、足首のあとはいまだ残っている。大八木はそれらを知っていて、あんな平然としていたのだろうか。
 だとしたら大八木もやはり幽霊側の存在……妖怪変態男なのかもしれない。
 なにもかもがあり得なくてフッと自嘲する。
 早くここから引っ越そう。俺は着替えて不動産屋に駆け込んだ。

「はあ……やっぱり家賃五千円とかないよなあ……」
 不動産屋を巡っていて、気がつくとすっかり夜になっていた。家賃五千円はないにしろ、大学近くの、新しく安い物件を探した。しかし家賃が安いと古いとか、大学から遠くなってしまう。逆に新しい物件や大学から近いところだとどうしても家賃が高くなる。
 あまりに古くて安い物件は、大八木荘のこともあり選ぶ気になれなかった。そう上手い話はないものだ。
 いや、大八木荘は完全に事故物件なのだが。
 そんな事を考えながら大八木荘の前に立つと、俺は何故ここに住もうと考えたのか当時の俺を呪いたくなるほど、雰囲気のある佇まいだった。
 入り口近くを照らす街灯は切れかけてチカチカとている。全体的に薄暗く、入るのをためらった。
「おかえり白谷くん」
「ひゃっ」
 いつの間に後ろに立っていたのか、大八木が背後に現れて俺の肩をトンと触った。
「ははは、驚きすぎだろう」
「いや……あんたやっぱり幽霊じゃないのか」
「あー、そう言えばおれが一人でここに住んでた頃おばけが出るって噂されてて。あれ多分おれの事だろうな」
 酷いよな、と笑っているけれど、実際幽霊が出ているのだから、幽霊の噂の正体はやっぱり幽霊なのでは、と思う。
「一人で住んでたって……よく平気だな」
「まあ慣れだな。親戚が寺やってて、小さい頃はそこで世話になってたんだけど。うん、慣れだな」
 どんな幼少期だったのか、詳しくは知りたくないところだ。
「それより新しい人中で待ってるから、早く会おう」
「中に?一人で?」
「うん。結構強い人だよ」
 なにが?霊感が?
 とは言えなかったが、会ってその強さを実感した。
「はい、こちら今日から一緒に暮らす八尾(ヤオ)くん」
 八尾くんの部屋に連れられ、そこにいたのは金髪オールバック、右眉に二つピアスをつけた、ザ・ヤンキーな男だった。
「こっちは白谷くん。八尾くんは19歳だから、白谷くんの方が一個年上かな」
「あ、そうだね」
「ちなみにおれは25だから」
 大八木が言ったので、俺と八尾くんは、へーと頷いた。
 ヤンキーというものに間近で対面したのはこれが初めてなので、どう接したらいいのかわからなかった。チラッと八尾くんを見ると、八尾くんも俺を見ていて目が合う。
「あー……よろしく、八尾くん」
「……よろしく」
 寡黙なタイプらしい。八尾くんは一言だけ言った。その言葉に、俺は何故だか笑いが込み上がってきて、それを堪えるので必死だった。
 多分八尾くんの言葉を、脳内で漢字に変換してしまったからだろう。それがばれたのか、八尾くんが俺の頬をつねってきた。
「痛い!ごめん!ごめんてば」
「白谷くんて、可愛い人だね」
「……」
 八尾くんの親指が離れ、つねられていた頬をなぞる。
 あまり感情のない顔と声が言った。俺はその意味を理解しようと頭の中で反芻するが、脳はそれを拒否した。

「ああああ……いやだ……いやだ……」
 俺はガタガタ震えていた。大八木に後ろから抱きすくめられ、足の間には八尾くんがヤンキー座りしている。
 突如始まったホラー映画鑑賞会。
 八尾くんはどうやら怖い映画が好きらしい。
 ーー白谷くん怖いの苦手らしいよ、じゃあ観ようーーという流れるような決定で俺は映画鑑賞会に強制参加させられた。
 テレビから出たり出なかったりする幽霊にガタガタ怯えながら、何故俺は逃げないかというと、今更逃げたところでホンモノと対面してしまうかもしれないからだ。
 それだったら変態二人と映画を観ていた方がましだ。
 そう、変態だった。八尾くんも変態だった。
 映画が始まってからずっと、八尾くんは俺を見つめていた。映画観ないの?と聞くと、
「怖がる白谷くん観てる方が楽しい」
と予想外なほど感情をストレートに出してくれた。俺は君のそんな一面を知りたくはなかったよ。
 後ろに座る大八木は耳に息を吹きかけたり背中を指でなぞったり地味に嫌がらせをしてくる。最低な同居人だ。明日こそ本気で引越しを考えよう。なんなら実家に帰るでもいい。
「……あ、ああ……うそ、そんな……」
 変態二人に気を取られ続けていたらいいのに、そうはいかなかった。
 俺の部屋と同じ造りの八尾くんの部屋。二枚ガラスの窓が不意に目に入り、俺はそちらに視線を向けたことに後悔する。
 窓一面にびっしりとついた手形。ゾッとするのは、そこにうごめく無数の顔。
「あああ無理い無理無理っ」
 俺は年下の前だとか変態の腕の中だとか考えてられないくらい怖くなって、大八木に後ろ手で縋り付く。
 俺の視線に気付いたのか、大八木と八尾くんも窓を見たらしい。けれど二人は平然としていた。
「あーいうの、よくあるの」
「あるよ」
「あるよじゃないよ!なんでっなんで平気なの二人とも」
 恐怖でぼたぼた落ちる涙を止められない俺の顔に、八尾くんがずいっと顔を近付ける。
「……アレみてるより、」
 窓の外を指さしてから、八尾くんは俺に向き直り、微かに唇を上げた。今日一番表情が動いた気がする。
「白谷くん観てる方が楽しいから」
 八尾くんはそう言うと俺の涙をペロッと舐めあげた。楽しいとか楽しくないとか言う問題じゃない。
 俺が変態二号に困惑していると、変態一号が首筋を舐めあげる。
「白谷くん、怖い時にはエロいこと、だろ」
 熱い吐息が耳をくすぐる。ゾクゾクと背筋を駆け上がる、恐怖が快感に変わる瞬間だった。

「あっ、あっあ、っん、んっ」
 八尾くんがナニをしゃぶり、大八木が乳首を突く。こんな状況なのに、いや、こんな状況だからか、身体はおかしくなりそうなほど敏感に反応していた。
「白谷くん、昨日より激しい」
「可愛い」
 会話にならない会話を二人が交わしている。俺は快楽に身体を支配されているのに、顎を掴まれ窓の方を向かせられているから恐怖がいなくなってくれない。
「ほら、白谷くん、いっぱい見てる。ツンツンに尖ったやらしい乳首、みんなに触ってもらう?」
「あああっほんとにやだ、ほんとにやだ、あああああっ」
 俺のナニを八尾くんの口からちゅぽんと引き抜き、窓の方に歩み寄ろうとする大八木に俺は本気で縋り付いた。窓の方だって俺は見たくない。腕を振りほどき、大八木の胸に顔を埋めた。
 うごめく顔が、無数の手が、今の俺には怖くてたまらない。
「大八木さん」
 八尾くんはすっと立ち上がり、シャッとするカーテンを閉めた。そこで俺はようやく落ち着いて、鼻水を垂らしながら泣きわめいていたことに気付く。
「ごめん、怖がらせ過ぎた」
 笑って頭を撫でる大八木に、俺はホッと安堵する。
「白谷くん」
 後ろから八尾くんが俺を呼んで、顔を向けると口付けられる。深くて甘いキスが、脳みそを犯すように蕩かしてきた。
 大八木の愛撫もあいまって、俺は、窓をバンバンと叩く音も気にならなくなった。

 三人で精魂尽き果てるまでまぐわって、俺は不意に喉が渇いて目をさます。前と後ろから八尾くんと大八木に抱きしめられていた。眠る二人は子供のように可愛らしい。
 そんな平和な空気に微笑む俺の耳に、ザーーっというノイズが届く。音の元に目を向ければ、砂嵐のテレビ画面。
 どうやら映画を付けっ放しにして、砂嵐になったようだ。テレビを消そうかな、と思って、俺はやめた。目を瞑った。
 砂嵐に何か黒い影が映ったような気がしたが、それはきっとおそらく多分、見間違いだ。
 俺は荒い呼吸を必死でこらえて、八尾くんと大八木をぎゅっと抱きよせる。
 大丈夫、二人がいれば、俺はもうなにも怖くないーー……。

終わり

 それから大八木がいつ覚えたのか念仏を唱えはじめ、八尾くんが思い切りなにかを蹴り上げる鈍い音がする。精神的・物理的に彼らは除霊的なことを行ったらしい。
 まじつよい。

終わり