「士郎(シロウ)さん」
斜め右下から声がして、ふと目をやる。純朴な彼は、僕を見上げて顔をふにゃふにゃととろけそうに笑った。そうか、僕たちは付き合っていたんだ。
「ぼく、四月から一人暮らしするんですけど……」
語尾を濁して言う。もう高校も卒業間近の時期だった。そう言えば会社にも新卒の子が何人か来ていたっけ。
「君が一人暮らしなんて、少し心配になってしまうね」
「親もそう言ってます」
なにが可笑しかったのか、彼は小さく笑った。
「あの、だから、士郎さん」
彼の指が、控えめに僕の手に触れた。ここは街中で、僕たちは人前を歩いている。男同士、スーツと制服のそれぞれが手を繋いで歩くには、世間はまだそれほど寛容ではない。
「ぼくたち、ぼくたちってその……つ、付き合ってますよね」
周りを気遣ってか、少し声を低めて言った。
「そうだね」
僕が頷くと、彼は安心したように笑う。
僕の与えた酷い試練からふた月があっという間に経っていた。その間僕たちは唇を、身体を片手に収まる程度重ねた。
これまでの僕からしたら笑ってしまうほど幼くて、甘いものだった。
「だから、だから……一緒に、暮らして欲しいです」
彼はそう言うと、チラリと僕を見て、それから俯いた。耳も頬も真っ赤に染めて、その頬に手を当てて「顔が熱い……」と呟いている。
僕はハッとして、歩みを止めた。
付き合うと言うのは、つまりそういう事なのだ。これから先もずっと続く、続けていく。
「士郎さん?」
「ごめん。恥ずかしい話だけれど、ちゃんと付き合うのは、これが初めてだから」
僕がそう言うと、彼は頬を緩めて微笑んだ。忙しなく変わる表情のどれもが嬉しそうで、僕もつられて頬が緩んだ。
「じゃあ、二人で色々試しましょう」
明るく前向きな彼は、未来を想像して瞳を輝かせた。ああ、彼とならきっとその未来を現実にさせられそう。そんな気にさせた。
「先、お風呂使って」
「ありがとうございます」
一緒に暮らす練習と称して、今晩彼は泊まって行く。泊まるということはつまりそういう事だった。
もう初めてでも2回目でもない。それでも顔を赤らめて恥じらう彼は、可愛いと思う。
手持ち無沙汰な僕はその間に部屋を適当に片付けてから、鍋でミルクを温めた。今日は寒かったし、ホットココアでも作ろう。
彼は甘いものが好きだった。彼の鞄にはいつだって、チョコや飴やお菓子が入っている。この歳になるまで食べた事がなかったマシュマロやマカロンだって、彼の鞄から出てきて一つ二つ分けてもらった品だった。
頃合いを見計らって、マグカップにホットミルクと粉のココアを入れる。スプーンでぐるぐるかき混ぜると白が茶色に染まっていった。
「お風呂、ありがとうございました」
「うん。ちょうど、ココアが出来たところ」
「わあ!ありがとうございます」
素直に喜んでくれる彼に、座るように促して机にホットココアを置いた。
「熱いから気をつけて」
「はい……あつっ」
言ったそばから火傷して目尻に涙を溜めている。なんだか微笑ましい。
「大丈夫?見せて」
「あ……」
頬を撫でて口を開けさせる。戸惑いがちに小さく開いた口から、赤い舌が差し出される。
どこを火傷したのかわからなかった。けれど、さも当然のように、僕はその舌に舌を絡めた。
「……んっあ……あ……」
唇の端から、飲み込めなかった唾液と嬌声がこぼれ落ちた。上気した頬は風呂上がりのせいだけではない。
僕の手で色付く彼に、湧き上がる感情はなんだろう。
「もう飲めるくらいには冷めたかな。僕もお風呂入ってくるから」
とろけた頬にキスをして、指で滴りを拭う。声も出せない彼はウンウン頷いて、ココアに口付けた。
僕はシャワーを浴びながら、ホッとため息を吐いた。彼との日々に疲れているわけではない。彼はとにかく癒しだった。可愛くて、小さくて、素直で従順だった。そんな人に好意を持ってもらえるなんて、先にも後にもない事だ。
特別大事にした。
でも、僕は物足りなかった。この、甘く優しいだけの日々は、身体を泥の中に沈めていくようだった。もっと深い泥沼に、窒息しながら沈んでいたはずなのに。今の方がよっぽど堪え難い。
表面上だけはシャワーですっきりさせて、彼の待つ部屋へ戻る。すると、彼は机に突っ伏していた。
「大丈夫?」
「ああっ」
僕は彼に声をかけ、肩に触れた。指先だけが触れたのに、彼の体温は火傷しそうなほど熱い。そしてビクンと跳ねて甘い声を上げた。
「ん、ん、熱くて……しろさん、ぼく、身体が……」
彼は目を潤ませ、閉じられない唇の端から唾液をこぼした。触るだけで悶える彼を、それでも抱き上げる。
「うん、ベッドに横になろうか」
身体中が熱くなっていた。吐く息まで熱を帯びている。多少効きすぎてしまっているようだ。
もう冷めてしまった机の上のココア。粉ココアにホットミルク、それから媚薬を数滴垂らした。少しでもよく効くもので、耐性がないのか彼は想像以上に蕩けていた。
ベッドに寝転がすと、彼は僕に抱き着く。耳元で喘ぎながら「離さないで」と繰り返した。
「離さないよ」
僕は彼を潰さないよう跨いで、彼の熱に触れた。控えめな彼の柔らかい股間が布を張って主張している。
「辛いだろう」
「ひあぁ……」
布越しに指の背で撫でると、彼はそれだけで果ててしまいそうに悶えた。一度くらいでは治らないだろうけれど、このままイかせてしまうのももったいない。
ふと、貸して上げたシャツの胸元がぷくんと膨れて薄っすらピンクを覗かせていた。やはり布越しに、その尖を指の腹で潰す。
「あああっっひっんん……」
腰を振って喘ぐ様子がいやらしい。まるで壊れたおもちゃみたいに、大きく動いたかと思うと次の刺激に備えて身を硬くしている。薬で増幅された快感は、彼には怯えるほど強過ぎた。
「力を抜いて、大丈夫だから」
「ああっ……でも士郎さ、ん、ぼく、おかしくなってしまう……」
「大丈夫、おかしくなんかないよ。気持ちいいだけだから……僕に委ねて、全部を」
彼の胎内が僕を締め付ける。薄いゴム越しの熱が摩擦で更に高まる。
ベッドで彼を四つ這いにさせ、後ろから穿った。獣のように求めた。何度も最奥まで打ち付けては、中の痙攣を楽しむ。
彼は射精しないで果てた。彼の股間下のベッドは、ヌルヌルと滴りで濡れている。僕が触らないし、彼の手はベッドに押さえつけているから、性器への刺激がなくてイけないのだ。
「あ……あ……」
切れ切れに溢れる声は掠れて力すらない。今まで散々優しく、いわゆる普通の性行為をしてきたから、延々続く快楽責めに彼は疲れ果てていた。
僕もまだイってはいない。いや、彼の締め付けに何度も果てそうになった。そのたび、ヒクつく後孔を自らの手で押し開いた。イく瞬間には後ろの穴がヒクヒクと痙攣した。でも、ギュッと締め付けることが出来ないと射精が出来なくなる。
「っっ……く……う……」
ああ、イく。そう思ったから、僕はまた自分の穴を押し開いた。グパッグパッと中が締め付けようと痙攣する。けれども僕はイけない。イけないけれど、全身を駆け抜け脳をとろかすような快感に悶えた。頭が真っ白になって、昇天しそうだった。
そんなセックスを、僕は延々続けた。彼が泣きながら気絶してしまうまで。
同じ時間、同じ場所で過ごしている事が不思議だった。朝の光が差し込む夜明け、ベッドで眉間にしわを寄せ、彼は眠る。
気絶したあと、彼の性器はお漏らしするように精液を吐き出した。散々使い果たした身体は、無意識下の反応でビクビクと痙攣している。
かなり無理をさせた。今まで抑えていたそれをぶつけてしまった。
彼と過ごせば、僕も少しはまともになれると思ったのに。
彼の頬を指で撫でる。柔らかい肌、若い肌。僕はこんなにも君を穢そうと必死なのに、君は相変わらず美しすぎて天使のように思った。天使は僕を救ってはくれないか。
よくわからない思考に自嘲した。
どんなに日々を過ごしても、結局僕は変われない事だけを知った。優しく、まともな振りをしたところで彼を壊したくてたまらない。いや、僕が壊されたかった。ぐちゃぐちゃに壊されたかった。溺れるほどの、セックスで。
「僕は酷い奴だ」
眠る彼の顔を見るたびそう思う。こんな僕に、早く愛想を尽かしてくれたらいいのに。そう思うのに、僕はまた彼に優しくしようと試みる。
心のどこかで人らしいものを望んだ。他の人がするように、僕も人を愛したかった。
「……士郎さん」
彼が眩しそうに目を開ける。嬉しそうに微笑む。
「おはよう」
声をかけてキスをする。
この、退屈でありきたりな甘い時間を、僕は出来るだけ壊さないよう優しく口付けた。
終わり