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「なんで、良いなんて言ったの」
 馬鹿だなあ、という言葉は口にしなかったけれど、伝わったらしい。横たわるニノ一(ニノイチ)は、泣くような、笑うような顔をした。

『なあ、セックスさせて』
 後付けの、理由にもならない理由はたくさんあった。クーラーが地味に効いてなくて暑いとか、窓の外でセミが鳴いてやかましいとか、もう明日から夏休みが始まって、コレが過ちだったとしても九月まで顔を合わせることがないとか。
 でも、そんな全ての理由じゃ説明できない「ニノ一とセックスしたい」と言う感情は、出会った時から俺の頭の中を支配していた。
 きっとこれが一目惚れと言うやつで、ニノ一のケツの穴に惚れた、いや、掘りたいとか、笑えない冗談を誰にも言わずにずっとずっと、心の中で噛み潰してきた。
『良いよ』
 グラウンドからの照り返した陽射しでだろうか。窓際でぼんやりと外を眺めるニノ一は通常の三割り増しで眩しく輝きながら呟くみたいに答えた。セミがセックスしたいと叫ぶ声で掻き消されてしまいそうなほど、小さな声で。
 だから俺は最初理解できなかった。冗談に取られても良いように、頭の中で沢山会話のイメトレをしたというのに、どうだろう。俺は、ニノ一が頷くパターンの会話なんて微塵も想定していなかった。夢の中でさえ、俺が言って、ニノ一が嫌悪の表情を浮かべる。そんな悪夢から汗だくで目が覚める。それほどに、予想だにしなかった。
『……やった』
 良いの?という言葉を飲み込んで素直に気持ちを吐いた。良いの?なんて確認を取って、やっぱり、だなんて冗談にされたらたまらないから。
 理解してからの俺は早かった。逃さないようにニノ一を抱きしめて、キスして、服を脱がせて、穴を舐めて、それからセックス。机に押し倒してセックス。ぎこちない動きを笑う暇もないくらい、夢中で犯した。眉間に少ししわを寄せて、痛みではないなにか違和感や嫌悪感だろうか、そんな表情も悪くないと思えた。
 ポタポタと汗が垂れ落ちる。グラウンドにいる野球部には負けるだろうけれど、激しい運動に汗が止まらない。目に入って見えなくなるのが嫌で、顔を何度か擦った。そんな俺をニノ一は笑った。俺もつられて笑い、ニノ一の中で果てた。

「僕の好きな子がね」
 五年という歳月は俺たちを大人にした。セックスはたった一度きりで、夏休み中も、夏休みが終わってからも、会話どころか、顔を合わせる事もなくなった。俺は視線でニノ一を追ったが、目が合うこともない。過ちだったとしても無かったことにできる計画は大成功だったようだ。けれど、俺にはとても無かったことにはできない。いつまでもわだかまり、つかえてギリギリと痛む。
 これが恋だとか愛だとか、どうして誰も教えてくれないんだろう。知っていたら俺は、もっと大切に出来たはずなのに。
「光月(コウヅキ)のこと、好きだったんだよ」
 何も無かった俺たちは何事もなく卒業し、別々の大学へ進み、バラバラの将来を生きた。俺は時折、ニノ一の事を思い出したけれど、ニノ一は俺のことを思い出してくれただろうか。
 きっと無いんだらう、そう思うとツキンと胸が痛む。
「だからセックスしてみたかった」
 再会は突然だった。大学を卒業した頃、高校の同窓会に呼ばれた。何かを期待して出席したのに目当てのニノ一はいなかった。
 いたところでどうだろう、なにを話せただろうか。頭の中で様々なパターンを思い浮かべたところで、目も合わさず会話も出来ず、ちらりともこちらを見ないニノ一の背中を見つめるだけの俺が、想定のオチとなっていた。
 だから、ニノ一の背中を見つけた時は混乱した。妄想が形になってしまったのだから。これは本当の事なのか、それともとても人様には言えない悲しい妄想に過ぎないのか。
 雑多なビルの群れの中、少し成長したスーツの、肩幅のたくましいあの背中がニノ一だと気付いた瞬間肩を掴んで声をかけていた。
『なあ、セックスさせて』

「じゃあどうして今日も、良いと言ったの」
 あの夏の日が当てつけだと言うのなら、今日のこの日はなんなのだろう。
 街の喧騒の中、掻き消されてしまいそうなニノ一の言葉が吐き出されたその時だけ、他の音なんて一切聞こえなくなった。それがどういう意味なのかはわからないけれど、その事がなんとなく俺は嬉しかった。
「どうしようもなかったんだ」
 泣きそうな、嬉しそうなニノ一は、ひとしずくの涙を零した。ニノ一の手が俺の頭を撫でる。髪の毛伸びたね、と口にするのは、あの日の俺を思い出したからだろう。
「僕を抱く君のどうしようもなく幸せそうな顔が、忘れられなかった。その光月が、あの時と同じ顔で、言葉で、また僕を求めたんだ」
 他に言葉なんて思いつくもんか。冗談みたいに笑った。それから泣き出した。
「やった」
 素直に気持ちを吐き出すと、ニノ一は微笑む。俺もつられて笑った。きっとこれが恋だとか愛だとかに違いない。
 もう手放すものかと、俺はニノ一を抱きしめる。もう夏休みを理由に、無かった事になどしないから。
「なあ、俺たち付き合おう」
 俺の言葉にニノ一は、いつものように答えた。
「良いよ」

終わり