当て逃げ

 息も詰まる満員電車の中。目下の悩みと言えば、イケメンがちんこを押し当ててくる事だった。
 始まりはふた月前。その日もいつもの如く人混みに肺を潰され、呼吸もままならない時だった。不意に現れたイケメンが人肌の壁となり、俺はようやく呼吸を許された。その時。
 左足に熱を感じた。けれど、それを確認するだけの余裕もない。もちろん、逃げる事だって。結局その日は、そのイケメンが電車を降りるまで左足に熱を感じて過ごすのだった。いや、イケメンが降りた後だって俺は熱の名残を感じていた。
 それからと言うもの、イケメンの姿をした変態紳士は毎朝同じ時間、同じ車両、同じドアから現れ、ひたりとちんこを押し当ててくるようになった。
 最初こそ、偶然だとか満員電車だし仕方ない、そう思っていた。けれども、俺がどこにいても必ず傍にいるのだからこれはもう間違いないだろうという確信を持っていた。
 左足に、腰に、尻に、俺は布越しにその熱を感じた。電車の揺れに合わせて身体が動く。強くもなく弱くもなく、付かず離れずでその存在だけを俺に知らしめる。
 ちんこを押し当ててくる。たったそれだけの事だった。それ以外には、指一本たりとも触れてこない。でも、ちんこだけは必ず触れてくる。
 いつしか朝が来るたび、俺は思うようになっていた。今日はどこに、押し当ててくるのだろう。まるで朝のニュースの占いのように、ほんの少しだけその熱を期待している俺がいた。
 彼が来る瞬間というのはいつもすぐに分かった。電車のアナウンスが駅名を告げるからだけではない。
 右手の節だった指をシックに飾る、中指にはめられたシルバーの指輪。どこか甘い匂い。息を飲むイケメンの登場には周りの誰もが一瞬目を奪われ空気が変わる。
 そして俺の横という定位置へ迷いなく進む。
 なぜ俺なのか。どうしてちんこを押し当ててくるのか。疑問は尽きないが、女は振り向き、男でさえ見惚れるようなイケメンに選ばれたと思えば悪い気はしなかった。むしろ優越感すらあって、ただしイケメンに限るという言葉の力を大いに感じた。
 そうして今日も、彼の訪れを待っていた。

 その日の朝はいつもの三割り増しで混んでいた。と言っても、いつもが既にキャパシティ120%の混雑状態で、それの三割り増しなのだから多分内蔵が押しつぶされて死ぬ奴も出るだろう。そのくらいの異様な混みようだった。
 それでもなんとかいつもの時間、いつもの車両、いつものドアで俺は外を見つめた。彼を待った。
「次は○○ーー」
 プシュー。ドアが開くと、出て行く人が数名、その遥かに多い人が入ってくる。もう十分に押し込められてこれ以上無理だ、という中にさらに圧がかけられ、痛いとか無理だとか言う悲鳴が上がる。俺はそんな声も上げられない。
 プシュー。そうこうしている間に扉は閉まり発車する。これじゃあ例のイケメンも乗り込めたかどうだか……そう思って顔を上げると、バチリと目が合う。間に一人挟んで、件のイケメンがそこにいた。
 こんなぎゅうぎゅうに押しつぶされた人の中だというのに、彼だけは、彼の周りにだけは何故か爽やかな空気が流れている気がした。イケメン効果は絶大だった。
 流石に身動きが取れないのか、今日ばかりはイケメンのちんこが押し付けられる事もない。そもそもこの圧で、隣の加齢臭おじさんの鞄が脇をぐりぐり抉ってくるし、前のスーツの女性に触れないよう俺はギリギリを保っていてそれどころではない。
 結局イケメンは駅で降りて、俺はそれを静かに見送った。

 何故か混み合う電車は、それから五日続いた。気が付けば金曜が訪れ、土日になれば俺は休みで出社しない。
 イケメンと視線は合うものの、その距離は初日に一人挟んだのが一番近くて、それ以降は二人三人挟んだり、反対側同士のドアとドアほど距離があったりした。
 だからだろうか。
 そんなこと、と。イケメンからの熱が恋しいだなんて、そんなことを思うだなんて。けれど、俺は欲しかった。あの、誰もが振り返るイケメンの、スーツの下に隠された俺にだけ与えられる熱が。
 どうしようもない滾りが、恋しくて仕方なかった。
 今日の俺の位置はドアからそう遠くない。もう、今週はこれがラストチャンスだった。
「次はー」
 プシュー。ドアが開き、そして間も無く閉まる。物理的な圧で息も出来ない。それでも人混みに逆らい舌打ちされながら踏みとどまった俺とイケメンとの距離は、人一人挟んだ先。
 熱は遠く、身動きは許されない。
 そこにいるのに、イケメンはこちらを見ているのに。手を伸ばせば、届くのに。
 ハッ、と気付いた俺は、そっと左手を動かした。この人混みの中で、俺はその熱を求めた。電車の揺れに合わせて、目の前の人や横の人と間違えないように。まっすぐにイケメンを見ながら。
 するっ、と触れる。いい生地のスーツは肌触りが心地良い。間違いなく、彼だろう。確信した俺は指を這わせた。
 するりと生地をなぞって下へ向かう。辛うじて彼に届いた人差し指と中指が、そこに辿り着く。恋い焦がれてたまらなかった、イケメンの熱を孕む股間へ。スーツ越しに触れるちんこへ。
 柔らかく膨らんだそこを上下になぞると、そこは硬さを増した。
「は……」
 車内で微かに空気を震わせた喘ぎ。
顔を上げるとイケメンが熱っぽい視線で俺を見る。
 感動すら覚えた。あのイケメンが俺の手によって高められている。人差し指の背が押し上げると、イケメンは目を瞑って堪えるように息を呑んだ。
 どうしようもない。指に触れる熱が、俺の手に踊らされるイケメンが、どうしようもなく愛おしい。
「次はー」
 車内に流れるアナウンスで我に返る。いつも彼の降りる駅だった。反射的に手を引くと、その手を強く掴まれた。熱と力のこもった彼の指が、手首を締め付け離さない。
 どうして、そう思った時には扉が開いて、出ていく流れに巻き込まれる。引っ張られる無理な体勢で、俺も電車を降りた。
 ズボンの前をカバンで押し隠し、俺の手を引くイケメンはホームの端に設置されたトイレに駆け込む。小便用の便器の前に、ヘッドホンをした若いスーツの男が立っていたが、イケメンに引っぱられるまま俺は個室に押し込まれた。
 ガタガタ、がちゃん。ガタッ。
「いっ」
 壁に押し付けられた衝撃で頭を打つ。
生理的な痛みに涙が滲んだが、それを拭う暇もなく次の衝撃が俺を襲った。
「んっふ」
 イケメンの手が俺の顎を掴み、口が塞がれる。驚いて開いた口内を舌が舐めて、そこからは彼にされるがままだった。海外の映画で見たような、痺れるキス。息も出来ない。脳が犯される。生まれて初めての体験だった。
 その間にも、イケメンはちんこを俺の足へ押し付けていた。犬みたいに腰振って、イケメンも台無しと思いきや、ちょっと必死な姿に俺の身体の奥の方がキュンとした。
 俺の指で、キスで、身体で、興奮しているイケメンが可愛い。辛うじて余裕を持つ脳の片隅がそんな事を思うが、やがて思考は停止する。
 カチャカチャと音がして、未だに口腔を舌でまさぐられている俺は目線だけでそれを確認した。少し焦りを見せるイケメンの手が、それでも慣れた手つきで自身のベルトを外していた。
 俺はその指先の動きに夢中になる。何度布越しに触れたかわからないけれど、遂に、直に、あの熱が、ちんこが露わになる。
 押し上げていたパンツがずるりと降ろされると、ぶるんと揺れるイケメンのちんこは俺の想像以上だった。
 いや、想像なんてしてないけど。イケメンがどんなちんこかとかいくら相手がイケメンでも想像しないけど。
 でも、熱気を放つそれがいざ目の前に出されると、俺は思わずゴクリと喉を鳴らした。
 ちゅ、と音を立てて唇が離れる。今一瞬前まで口内を貪られ、いっそ酸欠で苦しくて息も絶え絶えだというのにもう唇が恋しい。口が寂しい。
 そんな事を思った頃には、イケメンは俺の側頭部に顔を近づけていた。吐息が耳にかかり、びくりと身体が跳ねる。
 瞬間は目まぐるしく変わる。俺はされるがまま。
 俺の手がイケメンに握られ、導かれる。突然触れた指先の熱に、手のひらの肉に、俺は驚いてつい強く握ってしまった。
 耳元で低く呻いた声にキュンとする。ああ、そうかこれは、これはつまりイケメンのちんこなんだ。そう理解すると、手の中が益々熱くなるようだった。
 俺、イケメンのちんこ握ってる。
 いつのまにつけていたのか、ちんこには薄い膜がついていた。つまりはコンドーム。薄さ0.01ミリの壁はイケメンの熱をありありと伝えてくる。手の中でドクドクと息衝き、主張している。
 俺はおもむろに手を動かした。
「ん……」
 イケメンの喘ぎが小さく溢れる。なんだか、これは相当、悪くない。
 そのまま手を動かし続けた。イケメンの息が上がる。
「あっ……ああ……」
 微かに上ずった声が、思わず溢れたという風に耳をくすぐった。イケメンが俺の手の中で可愛い声を上げている。
 楽しい、興奮する。手を動かすと身体が震え、背中に回された手が強くしがみついた。可愛い、楽しい、もっともっと。
「ああ……」
 震える声はどこか切ない。もうイくんだろう。イケメンが俺の手で高められて果てる。
「イく……」
 甘く掠れた喘ぎとほぼ同時に、ゴムの中に放たれた性は熱く掌を焦がしそうだった。
 イケメンはしばらく俺にしがみついて動かない。俺も今目の前で起きた事を飲み込めきれず、放心していた。
「次は君の番」
「えっま、まっ」
 リハーサル的に指が撫でて、それからズボンのチャックが降ろされる。抗議する前にイケメンの口が俺の口を塞ぎ、舌が宥めるように俺の口腔を舐める。
 それ弱いんだよ、腰砕けそうになるのを必死で堪える間に、イケメンの指が俺のちんこを直に握った。
 するっと伸ばされたゴム。変態紳士の嗜みなのか、イケメンはまたコンドームを取り出し装着した。それから手のひらが優しく握り込む。ゆるゆると動き出して扱き始める。
「んっんんっ」
 口とちんこから逃れられない快感を与えられ、膝が笑った。こんなの耐えられない。俺はイケメンにしがみつく。
 熱い手のひらに扱かれる。自分でするよりも気持ちいいのは、自分でするよりも快感に容赦ないからだろうか。良いところだけを狙って、どんどん高められていく。
 大きく育った俺のちんこを、イケメンが丁寧に撫でる。先端ばかりを擦られ、強い刺激に腰が引けた。
「ここ、好きなんだろ? さっきここばかり触ってた」
 そんな恥ずかしい指摘に耳が燃える。
「う、う、だめ、イく……」
「いいよ、いっぱい出して」
「イくっう……」
 自分の声とは思えない位酷く甘えた声に思えた。恥ずかしい程感じて、頭が弾けたみたいに真っ白になる。いっぱい出るようにイケメンの手が絞るみたくしごいた。
 全部出し尽くして崩れ落ちる俺を支える、彼は矢張りイケメンで。
 イケメンはちゅ、ちゅ、と耳元にキスを落としながら俺のちんこを綺麗にしていった。ゴムを外してトイレットペーパーで拭う。ついでとでも言うようにひとなでされて、思わず甲高い声が出た。
ジャー、トイレットペーパーが流れていく。それを見守っていると、イケメンが俺の胸ポケットに紙を差し込む。
「仕事終わったら連絡して」
 それはイケメンの名刺だった。この駅から見えてる大きなビルの営業マンらしい。出来る男は違うと言うか。
「お前っていつもこんな事してるのか? 電車でちんこ押し当てて、トイレでやって……すげえ手慣れてる感じ」
「手慣れてないって。こんなアプローチ、初めてしたよ」
「アプローチって……」
 なんだか言い方までイケメンというのは格が違うのか。しかし、やってきた事といえば完全にただの痴漢なんだよなあ……よく考えたら今日のは俺が先に手を出してしまったのだけれど。
「あっていうか会社」
「タクシー代出すよ」
「電車のが早いからいいよ」
 身支度を整えて個室を二人で出ると、流石にさっきまでいた若いスーツの男はいなくなっていた。というかアレ、イケメンと同じ会社の可能性もあるのでは。
そんなことを思いつつ俺はホームへ、イケメンは改札へと向かった。口パクと手の仕草で電話して、と合図されたから、適当に手を振った。
 振り返す様もイケメン。

 その日は、遅刻こそしなかったものの、集中力は途切れがちだった。そもそもイケメンからちんこ押し付けられるようになって最初の頃もその事を思い出しては戸惑っていた。最近ようやく慣れてきたというのに。
 色々すっ飛んで、ちんこ押し付けられました、からちんこ擦り合いましたになったんだから。
「……」
 いやいや、何思い出してんだ、という話で。手のひらを見つめて、なんとなく変な気持ちになる。手の中の熱とか、大きさとか、耳元の吐息とか、思い出して顔がブワッと熱くなった。
「ッ、きゅ、きゅ〜け〜いってきま〜」
 落ち着かねえ。俺は席を立って、休憩スペースに移動した。
「はあ……」
 カップタイプの自販機で買ったコーヒーを飲みながら、イケメンからもらった名刺を眺めた。肩書きに役職はついてないから入って二年かそこら、多分俺とそう年は違わないのだろう。
 表には会社電話番号や携帯の番号、いわゆる一般的な名刺だった。ところが裏には、わざわざ書いたのだろう手書きの個人のメールアドレスがあった。
 それから、表に書いてあるのとは別の携帯の番号。会社とプライベートで分けているのだろう。
 とはいえだった。相手は痴漢を働いたきた男にすぎない。連絡をしろと言われたって、なんと連絡をすれば?「どうも、毎朝痴漢されてる者ですが」とか、「今朝擦りあった者です」とか?なんて馬鹿げている。
 だいたい、連絡を取ってなにをすると言うのか……つまりは、ナニをもっとこう、直接的に……?
「はあ……」
 俺はため息を1つ吐いて紙コップを潰した。やめだやめだ。
 冷静に考えろ。どんなにイケメンだろうと相手はちんこを擦り付ける変態だぞ、と。普通コンドーム二個用意しておくか?最初からそのつもりだったのか?
「はああ無理」
「雨雨(ウサメ)、度重なるため息が重いけどどうかした?」
「うっわ」
 ぺろんとケツを撫でられ、思わず情けない声を上げてしまった。当の本人はケラケラ笑っている。
 同期の森雲(モリクモ)で、部署は違うが飯を食いに行くくらいの仲だった。
「今日反応いいな? どうした」
 どうしたもこうしたも。森雲はこれまでに散々俺のケツを撫でてきてその度に俺はやめろと手を叩いてきた。ある程度経つと感情は無くなり、無視するに至ったのだが。
 今朝はイケメンとシてきたわけで、快感に敏感になっていたのかもしれない。いや、どちらかと言えば今日のケツ撫では嫌悪でしかない。
「お前な、まじでケツ触んのやめろ。男だからってセクハラ扱いされないと思うなよ。だいたいどんな気持ちで男のケツ触るんだよ」
「だって雨雨のケツ触り心地いいし」
「気持ち悪い」
 肩に手を回してきたのでそれも払いのける。こいつ、チャラチャラしてるんだよな。そのくせ時々妙に紳士だったりするが。
「それで、今日、本当にどうした?」
 同僚はカップのコーヒーを買い、横に座った。もう立ち去るつもりだったのに、森雲は俺の分のコーヒーまで買い、身体をこちらに向け、話なんでも聞きますよ、という雰囲気を醸し出してきた。
「……お前、ナンパとかした事あるか?」
「雨雨ナンパされたの?」
「なんでそうなる」
 いや、間違っちゃいないんだけども。
「ナンパした側がそんなに悩まないだろ、普通」
 それもそうか、という推測に、変なところは察しがいいんだから、と呆れる。
「……いや、連絡くれって名刺貰って」
「わーお、積極的じゃん」
「でもそいつっていうのが、痴漢というか」
「ふーん? で、雨雨はなにを悩んでいるんだよ」
「なにを、って、だって相手は痴漢だぞ……普通、無いだろ」
「普通無いな。でも雨雨は名刺、受け取ったんだろ。本当に嫌だったらその場で破り捨てるなりするんじゃないのか? そうしなかった、ってのがもう、お前の答えだろう」
「……」
「ま、後はプライドの話?」
 ペチンッ。
「うわあ」
 ケツをペチンと叩いただけじゃ飽き足らず、舐めるように手が撫でていった。ゾワゾワと背筋を駆け上がる嫌悪感に情けない声が出る。
「お前……ほんとやめろ」
「相談料」
 じゃあな、と俺の肩を叩き、休憩室を出ていった。俺も戻ろう。
 イケメンの名刺の事は、まあ後で考えるとして。

 結局連絡なんて面倒くさい、しなくていいや。と名刺の事を無視した。土日に入るとイケメン痴漢野郎の事なんかすっかり忘れて、俺は趣味のゲームの攻略に没頭する。
 そうして迎えた月曜日、あの駅に着くアナウンスでようやく気付くのだ。
「ドア開きますーー」
 プシュッー、と音がしてドアが開く。出て行く人が終わると、出て行った人より多い人数が乗り込んできた。先週の混みようと比べたら大分マシだったが、それでもひしめき合う満員電車となる。
 そこで人の波に強く押され、反対側のドアに押し潰された。否、故意にドアに押し付けられた。
 ガタガタと扉が揺れて、一瞬視線が集まるが直ぐに皆無関心となる。今だ心臓がバクバクしているのは、目の前のイケメンが何か言いたげに睨んできている俺だけだろう。
 狭いからもっと寄れとかじゃないよな、当たり前だ。混み合ってるのは織込み済み、むしろそれを利用して壁に追い込んで来たのだから。
「俺、言ったよね。連絡してって」
 無表情というのが、こんなに怖いものだと初めて思った。何より黙っていてもサマになるイケメンが全くの真顔で、声は少し低いトーン。いっそ怒って般若みたいな顔をしてくれたらいいのに、まるで血の通わない彫刻だ。感情を表さないのが余計に怖い。
「……痴漢相手に、連絡なんかするかよ。それに連絡しなくたって、会ってる」
 引けなくなって強気で言うと、イケメンは口元を歪めて笑った。ぞくりと背筋が冷たいものをなぞるよう。
「こないだ手を出したのは貴方だけどね」
 ねえ?と耳元で囁き、あの日を思い出させるように指が撫でた。
「ずっと待ってたんだよ。金曜日は仕事終わってからも会社に居残って。土日も、貴方から連絡来るのを」
「く……」
 思わず声を上げたのは、イケメンの手のひらに股間を掴まれたからだ。痛くない程度に、それでも優しくない動きで揉みしだかれる。
「俺はまだ貴方の名前だって知らない」
 ケツやちんこについてはお互い良く知ってしまっているのにな。何でこうなったのか?それはお前が痴漢だからだよ!
 というツッコミはさておき、イケメンはシリアスな雰囲気を纏わせながら、俺の内股を撫でた。慣れない刺激に身体が震えて、ドアが不自然にガタガタと鳴る。
「出会い方なんて今更だと思わない? つまらないプライドなんて脱ぎ去ってさ」
「やめ……」
 イケメンは囁くと俺の首筋に舌を這わせ、チャックに指をかけた。こんなところで、これまで以上に過激になっている。押し退けようにも、イケメンの後ろに立つおっさんが倍以上の力で押し返して来る。ここは戦場、敵はイケメンだけではないのだ。
「お前、なにがしたいんだよ……」
 チャックは降ろされた。けれど、フロントに穴のないパンツがイケメンの指を阻む。それ以上先には進まれないようイケメンの手首を掴んで言うと、予想もしない真剣な目が俺を見た。
「もっと知り合いたいんだよ。貴方のこと、俺のこと、ここ以外でのこと」
 しつこいけど、どんなに真面目な顔したってお前痴漢だかんな、そこんとこ忘れんなよ今だって人のチャック全開にして布越しに撫でるなっ!
「っ、わかった、わかったよ」
 出会いこそ変態的だけど、俺だってこのイケメンに惹かれていたのは間違いない。
 だからきっと知るべきなのだ。知り合うべきなのだ。

 その日の昼にメールを送ると約束して、公衆の面前でちんこを晒すのは避けられた。
 約束通り昼休みにメールをしたのは、そうしないと明日は公衆の面前で犯すと言われたのだけが理由じゃない。俺だってあいつのことを、知りたかったんだ。
 けれども、内容なんて思いつかないから件名に名前を、本文に番号だけ書いて送った。即行で電話がかかってきたのには引いたが(電話には出なかったけど)。
 気負った割には、なんて事なかった。そんなもんだ。
 連絡を取り合ったからと言って劇的に世界が変わるなんて事はなかった。相変わらず満員電車で、イケメンは俺にちんこを押し付けてくる朝。
 知り合うべきだなんて思ったけれど、結局あれから知った事なんて、こいつ俺の事大好きなのか、なんて事くらいだ。
それが少し可愛く思えるのは愛着が湧いたから?
 今日の夜、飲みに行きませんか?と誘いのメールが来たのは金曜の昼休み。
 月曜にメールして以来、昼休みに今日の昼飯をメールするのが定例になっていて、今日もいつもの様にコンビニ弁当を写メしたその返事だった。いーよ、店任せていい?
 そう返信すると、もちろん、仕事終わったら連絡ください、と。
 朝会った時に言えばいいのに、まああいつちんこ押し付けるのに必死だからな、あいつ電車降りたあといつも抜いてんのかな、なんて考えながら、昼休みは終わった。
 昼は何食ったんだろう、あいつ自分で弁当を作ってるらしく、何気に美味そうでいつも見るのが楽しみだったのに。
 とか。
「乾杯」
 カチン、グラスのビールで乾杯をする。イケメン御用達の居酒屋は客が多かったが、落ち着いた雰囲気の店だった。
「へー、こんな店あったんだ」
「ええ、ご飯も美味しくてオススメですよ」
 メニューを覗いて見ると、通常の居酒屋と変わらなさそうだ。二人で適当に選んでお通しで食いつなぐ。
「やっぱ狙ってる女の子とか連れてくるの?」
「え? いや、女の子は連れて来ませんけど……狙ってる子なら、連れて来ました」
「ふーん」
 やっぱイケメンは違うなあなんて思っていると、俺をじっと見つめてくる。なんだこいつ。あ、ああ!そうか。
「あーそれ俺のこと? ハハハまじか」
「笑うの、それ」
「鈍感な主人公とか、ラブコメで見るけど実際俺がそうなのかと思うと……ふはっ……くくく……マジかあってなるな」
 こんなこと実際にあるんだな、しかもこんなにイケメンが、俺を。悪い気しないし、酒はうまい。
「雨雨さんはラブコメ向いてないね」
「あー、ほんとな。モテた試しがねえよ。お前はイケメンだしモテんだろ。引く手数多。取っ替え引っ替え」
「君の中の俺ってどんだけクズなの」
イケメンが表情を崩してクスクス笑いながら言う。
「そりゃ、変態なイケメンだろ。最初の頃は但しイケメンは許されて得だな〜とか思ってた」
「こないだ手を出して来たのは雨雨さんだけどね」
「うっ」
「なあ、なんで俺? そんなに魅惑のケツしてた? ちんこ当てやすかった?」
「雨雨さん、貴方結構酔ってるでしょう。声でかい」
 イケメンの手が俺の唇に触れた。それを舐めるて、不敵に微笑んでやる。
「酔ってる。なあ、いつも電車降りたら抜いてんの?」
 そんな質問に、イケメンは微笑む。
「もっと酔ったら教えてあげる」
 頬杖ついて俺を見つめる。ああやっぱりイケメンて得だよ。そんな仕草だけでキスしたいとか思えてくる。柔らかそうな唇を重ねて、もう一度腰砕けのキスがしたい。
 身体の芯が火照って、喉が渇いた。あれが欲しくてたまらない。だめだ俺、酔ってる。今日は酔いの回りが早い。
 終電の時間が迫り、「そろそろ出ますか」と切り出したのはイケメンの方だった。
 奢りたがるのを無理やり押しのけ、きちんと割り勘で払う。ただでさえ色々勝組のイケメンなのに金まで払われては立つ瀬がない。
 店から駅に向かう道すがら、涼しい風に吹かれて酔いは覚めたが、身体の奥が熱いような気分は抜けなかった。
 乗り換えの大きい駅に向かう最終の電車は、朝ほどとまではいかないもののそれなりに混み合っていた。
 二人で電車に乗り込み、なんとなくテンションが上がる。電車内という密室の中で数分一緒にいただけの俺たちが、どうしてこんな事に。
「雨雨さん、こうしてると思い出さない?」
 イケメンが不意に言った。
「思い出すって」
 何を、と聞こうとした時に、足の間をイケメンの足が撫でた。膝使いが上手くて腰が引けそうになるのを、腕に抱かれる。
「近い」
「うるさくすると見られちゃう」
 小声でヒソヒソ言い合いながら、電車に揺られた。少し眠くなって来たのと揺れで、イケメンの肩に頭を預ける形になった。
 目を瞑るといい匂いがした。香水だろうか、嫌味じゃないくらいの仄かに香る感じ。きっと体臭に混ざって、こいつだけの匂い。
「あ……」
 頭の奥でズクンと記憶が揺れる。なんだっけこれ。前にもたしかに、嗅いだことがある。
「思い出した?」
 朝の気が狂うラッシュ時ではない。今みたいに、こうして……。

 あれはイケメンからのちんこ押し当てられ事案が発生するより少し前の事だった。上半期を乗り越えた打ち上げという体の飲み会で良い具合に酔った俺は、翌日実家に帰る予定があったため、他より一足先に帰りの電車に乗ったのだった。
 人がまばらな電車で半分眠りながら吊革に掴まる。どこかの駅に到着。
 プシュー、電車が止まり扉が開くと人が乗り込む。
「ん、すません」
 背中を押され、前にいた人に体がぶつかった。酔っぱらった口は呂律が回らず、体にも力が入らない。離れようにも後ろの人はビクともしなかった。
 ドア前に立ったその人を、さらにドアに押し付ける体勢。甘いような匂いに頭がくらくらとする。
「ん……」
 おかしくなりそう。そう思った時には既にだった。
 その人の足に、股間が擦れる。最近忙しくて抜いてなかったのもあって、熱を持つのは一瞬だった。
 こんなの変態だ、でも体は言うことを聞かない。
 ガタン、電車が揺れる。
「は……」
 吐息が漏れる。唇を噛んで声を殺した。でも、もうタガが外れる。ガタン。次の揺れに合わせるように、ちんこを擦り付けた。
 布越しの物足りない刺激、けれど匂いで甘く蕩けた脳には十分だった。
「ふ……」
 ゆっくり、熱を擦り付けていく。やばい、変態すぎて。でも、イきそう。なのが、やばい。
「うっ……」
 じわりと熱が広がり、それが冷めるのと同時に頭も冷えていくようだった。
 次の駅で逃げるように俺は電車を降りて、トイレに駆け込んのだった。
「あ……」
 忘れていた、というより記憶を封印していた。酒に酔っていたし、夢だろうという事にして。
「思い出せたみたいだね」
「ん……」
 イケメンの手が尻を撫でた。自然に始まった痴漢行為に、しかし自分の過ちを思い出して咎めることが出来ない。
 だって、どの口がそんなことを言える。
「……あれ、お前だったんだな」
「そう。すごい衝撃的だったのに、雨雨さん次会った時には俺の事覚えてなかっただろ」
「それは悪い夢だと思って……あの、ケツ揉むのやめて、話に集中出来ない」
「勃っちゃうから?」
「おい」
 今や弱みを握られた俺のちんこはイケメンの膝に押し上げられて声が上擦る。
「だから当てつけに俺も押し当ててみたわけだけど」
「発想が変態」
 仕方ないよ、と微笑む変態のイケメンにどきりとする。
「男に一目惚れするなんて自分でも驚いたけれど。俺はあの日、雨雨さんの熱にあてられたんだよ」
「……当たってる」
「当ててんの」
 あてられたのはどっちだか。

終わり