きみの心は冷たい

 『君の心は冷たい』と、雪利(セツリ)は言われた。
 そうか、僕の心は冷たいのか。雪利はどこか納得して、街に一人で繰り出した。
 色取り取りのイルミネーションが照らす遊歩道。街路樹の脇を照らす赤や黄色の光源が蛍のように光っている。
 雪利の心は冷たかった。鮮やかなイルミネーションも、豪華なご馳走も、幸せの詰まったプレゼントも、彼にはどうでもよく思えた。
「僕の心は冷たいんだ」
 人気の少ない公園の隅で、雪利は雪だるまを作った。小さくていびつな雪だるまだった。
「君の心も冷たいから、きっとお揃いだ」
 雪利はそう言って、雪だるまの頭を撫でた。


 クリスマスの朝は、いつもと変わらない。雪利にはプレゼントもご馳走もないから、昨日と変わらない寒い朝だった。
 筈だった。

「えっと……」
 雪利は戸惑った。昨晩、風呂に入り、着替えて、布団に入り、目を瞑る。そこまではいつもと同じでなにも変わっていない。
 でも、今、目の前には、いつもと違うものがあった。
「おはよう、雪利」
 そこには白銀の髪と白に近い肌の、見知らぬ男が横になっていた。雪利の頭を腕枕して、あまつさえ、雪利の髪を愛おしげに撫でている。
「おはよう……じゃ、ないよ。君は、一体誰なの?どうしてここに」
「名前は、雪利が付けて」
 困惑する雪利に、男はただ微笑んで答えるだけだった。
「付けてって……」
「雪利の名前には雪が付いてるんだね。すごく素敵だ」
「え、ん、ん、ありが、と……」
 急に褒められて、雪利はまた戸惑う。どうにも調子が狂ってしまう。
「うーん、と、じゃあ、ヨキ。どこかの方言で、雪って意味だったと思う」
「ほんと?」
 どうやら雪が好きらしい男は、嬉しそうに笑った。
「ねえ、じゃあ雪利、俺の名前、呼んで」
 ヨキは雪利の唇を指で撫でる。冷たい指だった。まるで、雪が唇に触れたように。
「……ヨキ、君って……」
「雪利、出かけよう」
 気のせいかもしれないが、ヨキは雪利の言葉を遮るように言った。そして布団から起き上がる。
「ちょ、ちょっとヨキ?なんで裸なの」
 なぜか裸のヨキに服を着せて、二人は出かけることにした。

 街は相変わらず色取り取りに飾られていた。
 ショッピング街のアーケードを通り、ひらけた場所には見上げるほどの大きなクリスマスツリーが置かれている。
「すごいね、雪利」
「う、うん」
 ヨキはツリーを見上げながら言った。飾りの光を映して、ヨキの瞳もきらきら輝いていた。
「ねえ、向こうにもなにかあるよ」
「わ、待ってよ」
 ヨキに手を引っ張られ、雪利も歩き出す。
 引っ張られたのは手だけじゃなかった。楽しそうにするヨキに、心も引っ張られて、雪利はなんとなく楽しくなっていた。

「ヨキ、どこまでいくの?」
 雪利はヨキに聞いた。あっちの店のサンタを笑って、こっちのクリスマスツリーを眺めて、今度はそこの服屋でラッピングされたプレゼントのショーウィンドウを羨ましそうに眺める。
 そうやってヨキとあちらこちらを見ながら、商店街を巡り歩いた。
「特に決めてないけど、雪利はどこか行きたいところ、ある?」
 ショーウィンドウから顔を上げたヨキに見つめられて、雪利はドキッとした。キラキラした瞳はさらに輝き、何もかもが楽しそうにしている。
 雪利も今を楽しんでいたはずなのに、なにが楽しいのか急にわからなくなった。
 どこに行きたいか考えたところで、いつもどこにいても「つまらない」と思っていた。
 とっさにどこに行きたいとも言えなくて、雪利は戸惑った。
 つまらないのはこの街並みでも、ヨキでもない。それを楽しめない自分自身だ。
「雪利、もしかして疲れた?」
 ヨキは雪利に向き直り、頬に手を当てた。親指が顔の輪郭をなぞるのがくすぐったい。
「少し、疲れたかも。そこの喫茶店に寄ろうか」
 二人は近くの喫茶店に入った。カランと小気味良い音が鳴る。
 窓際の席に座り、雪利はコーヒーを、ヨキはアイスフロートのついたメロンソーダを頼んだ。
「ねえ、ヨキ」
 雪利は窓の外を眺めながらヨキに話しかけた。
「君、雪だるまだろ」
 とても馬鹿馬鹿しい問いかけに、雪利はなんとなくヨキの方を見られなかった。
 でも、どうしてもそう思えてしまった。突然現れて、真っ白の姿形て、少し冷たい手を繋いで、こんな寒い日にアイスフロートのメロンソーダだなんて。
「もし俺が雪だるまだったら、メロンソーダなんて飲んだら、緑色の雪だるまになっちゃうよ」
「そうだね」
 こんな馬鹿げたこと、あるわけない。雪だるまが人間になるなんて。
 雪利は自分にそう言い聞かせてみたけれど、不信感は募るばかりだった。

「ねえ、ヨキ。ヨキは雪だるまなんだろ」
 会話も少なく、飲み物だけを飲むとさっさと喫茶店を後にした。喫茶店の中は暖房が効いていた。心なしか、ヨキは少し多めに汗をかいているような気がした。
 二人は再び、大きなツリーの下に来ていた。あたりはすっかり日が落ちて、イルミネーションは幻想的に輝いていた。
「君が雪だるまでもいいんだ。だってそれでも、僕の手は冷たいから、君を溶かさないで済む。だろ」
 雪利はヨキの手を握った。
「雪利」
 ヨキが握り返すと、雪利は泣きたくなった。
 人よりも冷たい手の自分より、さらに冷たい手だった。
「雪利はあたたかいよ」

 こんなクリスマスは初めてだった。
 いつもはただの電飾も、今は満天の星に包まれているようにキラキラと輝いた。
 頬を撫でる風も今は冷たくない。
 ドキドキと胸が高鳴って、苦しいくらいだった。
 世界がようやく鮮やかに色付いたようで、雪利はそれに見とれるだけだった。
「雪利、君の心はこんなにもあたたかいよ。俺の手も溶けそうなくらい」
 ヨキはそう言いながら雪利の胸の辺りに手を置いた。分厚いコートの上なのに、ドキドキという心臓の高鳴りが響いてしまう気がした。
「雪利、君の心は冷たくなんかないよ。誰も知らなかっただけなんだ。触れなかっただけなんだ」
 ヨキが優しく笑った。
「……いやだよ、いやだ、ヨキ」
 ヨキがどこかに消えてしまう気がした。もう別れの時なんだ。
「僕は……僕の心は冷たいんだ。ヨキ、君だけしかいないんだ……ヨキ……」
 縋るように雪利が言った。
 雪利は「心が冷たい」と言われて、それを受け入れていたつもりだった。でも、本当はそうじゃなかった。
 他の人のように嬉しかったり、楽しかったり、キラキラとした世界の中で同じように過ごしてみたかった。
 今日が、ヨキと過ごした瞬間だけが、そうだった。ヨキがいなくなったらまた戻ってしまう。
 それが悲しくて仕方なかった。
「大丈夫だよ、雪利。雪利の心に触れる人が、きっとすぐに現れるから」
 ヨキの手が雪利の輪郭を撫でた。指が唇をなぞる。
 ああ、いなくなってしまう。消えてしまう。雪利は目を閉じた。消えてしまうヨキを見たくかった。

 静かに、音もないキスが雪利の唇に触れた。ほんの一瞬だった。
 雪利が目を開くと、そこにはもうヨキの姿はなかった。
 空からはいつから降り出したのか、真っ白の雪にが降り出していた。雪利の唇に触れたのは、雪だった。
 冷たいはずの雪なのに、心なしかあたたかい気がした。
「ヨキ……」
 本当かな。僕の心は本当にあたたかいのかな。君と過ごしたみたいに、また楽しい時を過ごせるのかな。
 雪利は声もなくその場で泣いた。胸が苦しくて、熱くてたまらなかった。こんなにも心が熱くなるのは初めてだった。

「大丈夫?」
 泣き濡れる雪利に誰かが声をかけた。
 なんとなく、聞いたことのある声のように思った。
 ヨキに良く似た声だった。
「あー、もしかして彼女に振られた、とか?それなら俺もさっき振られたばかりで。俺たちきっと、お揃いだ」

終わり

投稿サイトのお題「クリスマス」で書いた作品です。