心中系

「いらなくなったら俺の事捨ててよ」
 と懇願する。ヤってる最中に萎える事言うなよと思い、面倒だから最近では猿轡を噛ませている。とろとろになった顔が泣きながら呻いて、あの言葉を言えなくしてるのに瞳が訴えかけるようで、頭の中でいつも繰り返される。
 いらなくなったらーー。
「お前がそれ言うたびにおれは罪悪感とか責任感とかでますます捨てられなくなる。そういうこと考えた事ある?」
 事が終わったベッドの上で、背中に縋り付いて言うからそう教えてやる。一瞬震えて、背中に当てられていた手の熱が離れた。
 一緒に暮らして三ヶ月。痺れを切らしたおれの言葉が、心臓を突き刺してしまった。
 あいつーー砂原(サワラ)は劣等感の塊だった。砂原家の次男に産まれたが兄にも弟にも劣る駄目なやつだった。いつも人より一歩引いて歩き、どんな事を言われようとも困ったように愛想笑いする。心から楽しいと思った事なんてないのだろう。主体性がなく消極的で見ていて苛立つことの方が多い。
 そんなだから、と言うのはなんとも可哀想な理由だが、しかし、そんなだから実家から追い出された。行き場がなく、雨で雨量の増した河川敷の端に座り、今にも川に飲み込まれたそうな顔でぼーっとしていた。
 大学で何度か席が近かっただけのおれが声を掛けたのは、単なる気まぐれに過ぎない。
 家事をやらせても手際が悪く、料理も食べられなくはないが美味いわけでもない。これといって秀でたものなどなにもない。
 何をやらせても人より劣る、それは彼の生き様そのものだった。
 ごめんなさいを繰り返す口を塞ぎたくてキスをしたのは、そっちの方面なら多少は使い物になるかと思ったからだ。けれどそれも失敗だった。
 可もなく不可もない貧相な体に触れても、おれのそれに触らせても、ごめんなさいを繰り返す。
 ごめんなさい、俺がこんななばっかりに。ごめんなさい、俺が触ったんじゃ気持ちが悪いよね。ごめんなさい、俺なんかじゃ気持ちよくないでしょう。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
 何をしても人より劣る事を、本人が一番自覚していた。そのせいで口をついて出るのは「ごめんなさい」だった。その口を塞ぎたくてイチモツを咥えさせる。
「歯立てなきゃなんでもいいよ。おれが満足するまで咥えてて」
 舌が気持ち程度に撫でた。結局イけはしなかったけれど。

「お前の事捨てたらお前はどうすんの」
 素朴な疑問だった。捨てて捨ててとうるさい。そんなに捨てられたいなら、金を盗むとか浮気をするだとかおれを怒らせて捨てられればいい。そんな事もしない。
「他の奴探すのか。それとも家の前でうずくまって通報されるまで泣きすするか」
「……」
 返事がないから寝返りを打って砂原の方を向く。存外近くにいた砂原はおれの腕の中におさまり、顔を手で覆い泣きすすった。
「おれといて楽しかったことある?」
 いつも泣いている気がする。いつも困ったように笑っている気がする。いつも、いつも。
 おれの言葉に砂原がハッと顔を上げて、それから涙を込み上げさせた。
 ああ、楽しかった事なんてないんだろう。「ごめんなさい」を口にはしなかったけれど、目がそう訴えた。

 本当に捨てられたいわけではないんだろう。それでも「捨てて」と言って、捨てられない結果にホッと安堵している。
 そこまで薄情になれないおれに捨ててと懇願する。きっと捨てられるなら理由もなく捨てられたいのだろう。
 理由もなく嫌われる事があるのなら、理由もなく愛される事もあるかもしれない。そんな証明を求めている。のかもしれない。

「お前は捨ててって言うけど、裏を返せば、おれのこと捨てたいんじゃないのか」
「っちが……ちがう……ごめんなさい」
 首を振って否定したって小さな声じゃ信憑性も薄い。
「なあ、ごめんなさいの続き教えてよ。いつもごめんなさいで終わる。ごめんなさい、だけど、だけどそれでお前はどう思ってんの。言えよ、エゴでも何でもいいから。最後までちゃんと」
 レイプまがいの事をしているおれが言えたセリフじゃない。でも、好きだとかそんな言葉は口にできなかった。きっと間違いなく、ごめんなさいと言われるから。
「だって……だって俺は何も出来なくて」
 じわりと目が濡れていく。それを隠すように俯いて、それでもぽつりぽつりと言葉を吐いた。
「人より良いとこなんてないし」
「喜ばせたいのにできないし」
「ごめんとかそんな事ばっか言っちゃうし」
「言ったあとで言わなきゃよかったってなる」
「でもまた言っちゃう」
「俺は俺の事しか考えられなくて」
「だからダメなんだってわかるけど」
「自己嫌悪しかできなくて」
「そしたら」
「そしたら、何をしたってダメなんだって思えて」
「もう何もしたくないのにそれだって許されないし」
「なんかも……もうなんかわけわかんないよ」
「それなのに」
「俺はこんななのに」
「声を掛けてくれたの嬉しくて」
「迷惑なのわかってるけど」
「でも、でも……でもっ」

 あと一言なのに、泣き出して嗚咽して言えなくなってる。顔を覆う手を掴んで頭の上に押さえつけ、おれは濡れた瞳をじっと見つめた。
 目の端から流れる雫が綺麗だと思った。黒い瞳が見つめ返してくる。深く底のない穴みたい。
「好きなんだ」
 思い出したみたいに呟いて、またポロポロと泣き出す。きっと頭の中でごめんなさいとか嫌われるとか、こんな俺が、そんな事を考えている。
「捨てられたくない」
「うん」
 やっと出た本音を、砂原は言ったそばからきっと後悔している。
 その言葉を聞いたおれは安堵して、砂原を抱きしめた。好きとか捨てられたくないと言われて愛おしさを感じるくらいにはおれも現金なやつだった。
「わかった」
 頭を撫でて慰めると余計泣き出す。身体中の水分を何度にもわけて全部出そうとしているみたい。
 おれは善人じゃないし、振り返ればやっていることはクズそのものだ。それでも好きだという好意を無下には出来ないし、手放したくない。
「酷くしてごめんな。優しくするから」
「そんな俺の方こそごめん……そ、れに、ずっと優しかったし」
 砂原のくしゃくしゃになった頭を撫で付ける。
「うん」
 言いながら、もうどうでもよくて砂原を強く抱きしめた。赤くなって黙った砂原を見て、ああこんな簡単な事で良いのかと思った。
 なんとなく居心地が良くなって、目を瞑ると砂原の手が頭を撫でた。

 気まぐれでも声を掛けて良かったと今は思う。
 愛情はこれから大きくなっていくだろうから、少し待ってて欲しい。
 そんな事を思いながら、二人眠りに落ちた。

終わり