俺だって恰好つけたい/建前と本音/お下がり

俺だって格好つけたい
建前と本音
お下がり

 学校に、有名な兄弟がいた。
 品行方正な兄と不良の弟。兄と付き合うともれなく弟とも付き合える。やり放題に食い散らかす兄弟。
 砂賀(サガ)兄弟の兄と、おれは今付き合っていた。
 晃(アキラ)と付き合い始めたのは4月の初めだった。その頃、晃は付き合っていた恋人と別れて落ち込んでいた。
 おれは恋愛とかよくわからないけれど、落ち込んでいるさまがどうにも痛々しくて仕方なかったから遊びに誘ったりたわいもない会話をしたり。
 友達として接していたのが、いつのまにかキスをしていた。

「真果(サナカ)」
 放課後の教室、外から入る風に吹かれて爽やかな笑みを浮かべている。
 ヤリチンだなんて言われているけれど、結局のところ晃はイケメンで、頭がよくて、格好いい。だから人に好かれるんだろう。
「俺、真果の事が好きみたい」
 内緒話をするみたいに、おれの耳に唇を寄せて、くすぐったい声をかけてくる。
「おれもお前の事、好きだよ」
 友達として。そう続けようとした口を、口が塞いだ。
「真果の好きは、こういう好き?」
 突然奪われたキスにおれは赤面した。初めてだとか、男同士だとかそんな事よりも、晃としたキスがあまりにも良くて、おれは戸惑っていた。
「……違う」
「じゃあ、俺のこと好きになって、真果」
 晃はもう一度おれに口付ける。
 おれが晃と同じ気持ちになるには、そう時間はかからなかった。

 変化が訪れたのは五月の終わりだった。
 雨が降る肌寒い日だった。昼過ぎから降り出した雨に、傘を忘れたおれは玄関で途方に暮れていた。
 少し待てば止むだろうか。激しく降る雨は、しばらく止む気配がない。
「あれ、アンタさ」
 そんな折、後ろから声をかけられる。振り向けば、茶色い頭に人懐っこい笑みを浮かべた、晃に似た顔。
「兄貴の恋人だろ」
 ドキっとした。
 晃の弟、砂賀明(メイ)はおれの顎に手をかけ、じろじろと値踏みするように見てくる。
「ふーん、ふーん」
「……なんだよ、人の事をじろじろと」
「いやあ、オレ兄貴とはほんと趣味合わないんだけどさ」
 趣味?なんの話だ?おれが訝しんで話を聞いていると、明はにぱっと笑った。
「アンタ、兄貴のこと、好き?」
「そ、れは……」
 カッと顔が熱くなる。晃と付き合い始めてから、おれは晃のことをどんどん好きになっていった。優しいキスも、時々抜けてるところも、変に頑固なところも、一緒にいて楽しいところも。
 けれど、それを誰かに言ったことはない。男同士だから、それを人に話すのは憚かることだった。
「へー、好きなんだ」
「ま、まあ……」
「でもそれってさ」
 クンッ、と顎を上げられ、視界が陰る。唇に柔らかい熱が触れて、深く、口を犯された。

「こういう好き?」
「っ……ふ……っ……」
 カクカクと腰が抜けて落ちそうなのを、明が抱いて止める。目の前がチカチカとするような強烈なキス。
 晃とだってキスをした。手をつないだ。好きだと思った。
 だけど、こんなに強い刺激はなかった。
「キスだけでイきそう?」
「は、あ、やめろ……やめろ、やめろ」
 こんなのおかしくなる。おれは目を瞑り耳を塞いで首を振った。
 おれが好きなのは晃なんだ。
 それなのに、こんなの、ひどい裏切りだ。
 ペロッと舌が顔を舐めた。ハッと目を開くと、明と目が合う。
「へえ、兄貴はこんなこと、してくれないんだ?」
「ち、ちがう、こんなのしなくたって、おれ、は、晃、は、いいんだ」
 にやにやと笑うその顔が憎い。嫌なのに、晃の面影があって、嫌いきれない。
「それは建前と本音、どっち?」
「本音だ」
 もうこれ以上話したくなかった。おれは明を突き飛ばしてその場から逃げた。
 散々降り注ぐ雨を浴びて家に帰り、そのまま風呂場に駆け込む。ちょうどよかった。
 全部全部洗い流そう。この収まりのつかない熱も、全部……。

『風邪引いたって?授業終わったら見舞いに行くよ』
「いや、大丈夫だから……」
『そんな鼻声で大丈夫なんて、説得力ないよ。午後絶対行くから、ゆっくり寝てて』
「ん……わかった」

 電話を切って、おれはまた布団に潜り込んだ。昨日の今日でバツが悪かった。風邪で休まざるを得なくなってホッとしていたのに、晃が見舞いに来るなんて。
 昨日のことを明は晃に話したんだろうか?でもだったら、見舞いになんて来ないだろうか。
 悶々として寝て過ごすと、昼過ぎにはぼーっとしながら目が覚めた。熱のせいというより、寝過ぎのようだった。
 喉が渇いて水を飲もうとベッドから出る。
 ピンポーン。
 来客だった。インターホンで覗くと、そこには晃の姿があった。
「起こしたかな」
「ううん、ちょうど起きたところ」
「そっか。ゼリーとか買ってきたから食べる?」
「ありがとう」
 二人でリビングに行くと、晃はてきぱきと動いて皿にゼリーを盛ったり、コップに水を注いでくれた。
 体温計を脇に挟んで、朝よりは少し下がったことを確認する。
「食べられる?」
「うん、ありがとう」
 ゼリーを口に運ぶ。桃のゼリーは冷たくて、ほのかな甘みが口に広がる。
「……」
「……見られてると、なんか恥ずかしい」
 美味しさを噛み締めていると、晃がこっちをじっと見ている事に気づいた。
 おれが言うと、ふっと笑った。
「ごめん」
 ごめんと言いながら、それでもやっぱりおれのことを見ている。だからおれは、なんとなく照れながらゼリーを食べ続けた。

「汗、拭いてあげる」
「え、い、いいよ……」
「遠慮しないで」
 背中を押されてベッドに戻され、戸惑うおれをよそに晃は着々と準備を始めた。タオルと少し水を入れた洗面器を持ってベッドサイドのテーブルに置き、ベッドに乗り上げる。
 ギシッと軋む音に、おれはドキッとする。
 なんとなく晃の顔が見れなかった。
「シャツ、一旦脱ごうか」
 汗を吸った寝巻きのティーシャツを脱がされる。晒された背中に、冷たいタオルが優しく当てられる。おれはぶるっと身震いした。
「冷たい?」
「ん、気持ちいい……」
 タオルが背中を丁寧に拭いていく。冷たいのに、おれは、触れられたそこから身体が熱くなっていくような気がした。
 昨日のキスが頭にこびりついて離れない。
 プラトニックな関係でも、おれはよかった。
 だけど、あのキスみたいな刺激的なことを、おれは晃としたかった。
「あ……」
「あ……」
 晃に話しかけようとして声を出すと、晃も声を出そうとしたみたいだった。お互い押し黙ると、晃が、なに?と優しく聞いた。
「晃は、おれと、キス以上のこと」
 ごくっ、と喉が鳴る。
 キス以上のことって、どんな事だろう。男同士でもセックスできるんだろうか。晃とおれがセックス、そう思うと、顔が熱くなった。
「真果」
 背中側にいる晃は、おれの肩に額を乗せた。
「俺の事、好き?」
「……好き」
 晃はおれが答えると、うなじにキスを落とす。
 肩に、背中に、甘く歯を立てる。
「こういう意味で?」
「……っ、こう、いう意味で」
 ドクンドクン心臓が高鳴って、身体が昂るのを感じた。
 すると、晃はおれを強く抱きしめた。
「よかった」
「え……」
「ずっと、真果とキス以上のことしたかった。俺、真果が思うより野獣だよ?」
 そう言ってかぷっと耳にかじりついてくる。こんな野獣なら、おれは嫌じゃない。
「でも、俺だって格好つけたい」
「格好いいよ、晃は……」
「ほんと?明より?」
「な、んで、明……」
 振り返ろうとするおれを押さえるように、抱きしめる晃の力が強まる。ドクドクと早まる心臓の意味は、きっと恐怖や不安だった。
「昨日のこと、聞いちゃった」
「……ごめん」
「いいんだ。あいつ、いっつも俺が手を出すの遅いから、ああやってたきつけるんだ」
「え」
 ようやく後ろを振り返ると、晃は悲しそうな顔をした。
「でもみんな、明に惹かれてく。あいつ、ほら、俺と違って悪っぽいし。そういうの、憧れるとこあるじゃん」
 悲しそうな顔で笑う晃に、胸がきゅっとなった。
 きっと4月の初めころ、落ち込んでいた晃の理由はそれに違いない。
 おれは晃を抱きしめた。他にどうしたらいいのか、おれには思いつかなかった。
「おれ、明にキスされて……気持ちよくなっちゃって。ほんと、ごめん……だけど、言い訳みたいに聞こえるかもしれないけど、明にされたキス、晃としたいって思ったんだ」
 どう言ったらいいのか、こんな欲望みたいなことを言うのは恥ずかしかったし、ちゃんと伝わってくれるのか不安だった。
「おれ、晃が好きだから……晃としたい」
「俺も」
 真果が好き。
 耳元で囁かれた言葉は、いつよりも熱を帯びて、頭に響いた。


「じゃあ、晃の恋人をいつも明が横取りしたの?」
「しない。あいつ、ちょっかいだけ出して俺の恋人が明の方にいくと、『兄貴のお下がりなんてごめんだ』って」
「へえー……」
 別れた以上元サヤにも戻れないし、晃の恋人たちは立つ瀬がないだろうなあ。
「あいつにも早く恋人ができて欲しいよ。真果にこれ以上手を出されたくない」
「大丈夫だよ」
 おれは晃の手を握った。
「だっておれ、晃のこと好きだから」

終わり