クリスマス

 悪い子供には石炭を、もっと悪い子供には臓物を、もっと悪い子供は袋に入れて連れ去っていく。

 クリスマスイブの夜、なんの期待もせず目を閉じた祈(イノリ)は、低い鈴の音を聞いて不意に目を覚ました。
 どこかでガタガタと音がしたと思ったら、鼻に付く嫌な臭い。血と脂の混ざった、気味の悪い臭い。
「っ……」
 時間は今日を終え、明日と入り混じる深夜。そっと電気を付けて声を失う。
 部屋中に巻き散らかされた赤。まるでツリーを彩るモールのように、ベッドや壁にハラワタが張り巡らされている。
 祈は吐き気を催して、汚物の装飾を一つ増やした。そこでふと目に入る、ベッド脇に立つ黒いブーツ。腰紐に付けた鈴から低いコロコロとした音が鳴る。
 人だった。そこには黒いブーツ、黒い毛皮、黒い帽子を被った人がいた。祈はすぐに気付く。その人をずっと待っていたからだ。
「サンタさん……っ」
 布団を押し退けて、血で汚れるのも気にせず縋り付く。正確にはサンタではないが、祈は知りながらそう呼んだ。彼はこの黒ずくめのサンタを待ち望んでいたのだから。
「僕は悪い子供だからっ……袋に入れて連れ去って」
 懇願するその願いは、その夜誰よりも響く声で、サンタの元に届いた。


「その子供、どうするんだよ」
 サンタ、もといブラックサンタは祈を抱いて白馬の元へ戻る。白馬の上には黒猫が乗り、緑の瞳が不気味にブラックサンタを見つめた。
 ブラックサンタはクリスマスイブの夜、悪い子供のところへ訪れお仕置きをして回った。
 祈は安心したのか、ブラックサンタの腕の中でぐっすりと眠っていた。手足には血が付いていたが、少しも気にする様子がなければ、悪夢を見ている様子もない。
「んん……さんたさ……僕を連れてって……」
 祈の手がぎゅうっとブラックサンタの服を掴む。決して離れないと言っているよう。
「……はあ、まったく、袋にくらい入れたらどうだ」
 黒猫は一つ、大きくため息を吐いて呆れたように呟いた。それから白馬は、祈を起こさないよう静かに走り出した。
 今宵は悪い子供にも、良い夢を見る権利ぐらいは与えられた。

 ボンッ。ブラックサンタ達が祈の家を足元遠く離れた頃、家が真っ赤に燃え上がる。枕元に置かれた石炭が、翌日火元と特定されるだろう。

 祈が目覚める。窓から差し込む光は雪に反射した太陽の光だった。
 ああ、なんて懐かしい夢なのだろう。祈はあくびをして、うんと背伸びをする。緑の寝間着がシャランとなびいた。
 今日はクリスマスの朝だった。祈は布団から飛び起きて部屋を出ていく。
 祈がブラックサンタのクネヒトに連れ去られて10年が経った。当時8才だった祈は18才になり、クネヒトの家に住んでいた。
 クリスマスの朝は早起きだった。クネヒトが夜通し子供達の家を回って、早朝に帰ってくる。それを労うのが、祈の毎年の仕事だった。
 祈は踊るような軽い足取りで部屋を移動した。キッチンに行き、昨夜仕込んでおいた豪華な朝食の準備をする。
 それからダイニングテーブルには赤と緑のランチョンマットを敷いて、細身のシャンパングラスを並べた。
 テーブルには四人分の用意がある。クネヒト、祈、そしてクネヒトの愛馬であるダンダー、猫のユールの分だった。
 クネヒトは毎年、ダンダーの背に乗りユールを連れて子供達の元を回った。本当は祈も付いて行きたかったが、クネヒトは許してくれなかった。
 祈はオーブンから七面鳥を取り出して、テーブルの真ん中に置いた。この10年で料理は格段に上手になっていた。部屋には良い匂いが漂い、祈の腹がぐうー、と鳴る。
 窓の外からは低い鈴の音が聞こえた。クネヒトのお帰りだった。祈は舞うように玄関に掛けた。
 かちゃん。
「お帰りなさい」
 扉が開いて、祈は一番前にいたクネヒトに抱きつく。外は雪が降っていて、玄関前ではたいたらしいがクネヒトの毛皮にはまだ薄っすらと積もっていた。冷んやりと冷たいのも気にしない。祈は胸が熱くてたまらなかった。
「ただいま、祈」
「ただいま」
「寒いから中入れて!」
 クネヒトが祈の頭を撫で、白馬のダンダーと黒猫のユールが後に続いた。ユールは厚手のコートにロシア帽、赤と緑のマフラーにふかふかの手袋をしていたが寒さに震えている。
「ああ、良い匂いがする」
 ダンダーはのんきに、用意された食事の匂いをくんくんと嗅いだ。
「本当だ、随分豪勢な朝食のようだね」
 クネヒトは一度祈をぎゅっと抱きしめてから身体を離す。そうしないと祈が離れてくれないからだ。
 祈は抱きしめられて満足し、クネヒトの脱いだ毛皮のコートや帽子を受け取りコート掛けにかけた。それからブーツを脱いでスリッパに履き替えると、再びクネヒトの腕に抱き着く。
「今年は特別なクリスマスだから」
 頬を赤らめて言う祈に、クネヒトは微笑んだ。

 四人で食卓を囲んでのクリスマス。祈は寝起きに少し重すぎる食事だったが、クネヒト達にはぺこぺこに空かした腹に次々とおさめていく。
 10年経っても表情の読めないダンダーは人参たっぷりのシチューをお代わりしている。いつも冷たいユールも、今日ばかりは祈の食事を褒めちぎった。
 クネヒトは一口食べては美味しいよ、と祈に優しく伝えてくれる。
 こんな幸せなクリスマスを、祈はここに来るまで知らなかった。
 祈のそれまでの暮らしは理不尽に見舞われた生活だった。両親に捨てられ、継母継父からは毎日のように折檻されていた。なにか間違いをしたり、単純に継母たちの機嫌が悪かったり、そういう時にはあの部屋に電気もつけず押し込まれ、ろくな食事も与えずに二日も三日も閉じ込めた。
 ドアの外からは祈を罵倒し責める言葉がいつもしていた。
『お前は悪い子だよ』
 そう言われては、ああ僕は悪い子なのだと、する理由もない反省を延々繰り返した。トイレに行くことも出来ないから粗相をして、部屋も身体も汚れていた。その事すら祈が悪いのだと叱られた。
 部屋を出るには懇願するしかなかった。
『僕は悪い子です。生きていてごめんなさい。お母様お父様、許してくれないのはわかっています。僕は悪い子供です。ごめんなさい、ごめんなさい』
 そんな祈にある日希望が訪れた。継母の言い付けで街に買い物に出た時だった。子供と母親が話しているのを耳にする。
『ママ、ぼくにサンタさん来るよね?』
『そうね、良い子にしていたら来るわよ』
 楽しそうに話す親子を横目でちらりと見て、祈は買い物のメモに目を戻す。僕は悪い子だから、サンタなんて来ないんだ。関係ないんだ。
『……悪い子にしたらどうなっちゃうの?』
『悪い子にはブラックサンタが来るのよ』
『……ブラックサンタ?』
『そうよ。悪い子には石炭を、もっと悪い子には臓物を、もっともっと悪い子は袋に入れて連れ去ってしまうの』
『っ! ぼ、ぼく良い子にするよっ』
『そうね、良い子にしないとね』
 そうか、僕は悪い子だから、ブラックサンタが来るんだ。袋に入れられて、どこに連れて行かれるんだろう?だけどきっと、ここよりも地獄の方がよっぽど幸せだ。
 それから毎日、祈はブラックサンタの事を思った。悪い子に生まれてよかったなんて思うなんて、僕はなんて悪い子だろう。

「クネヒトさん、今日で僕は18才だよ」
 食事を終え、ベッドに寝転がるクネヒトに祈は跨った。
 ブラックサンタに連れ去られた悪い子供はどうなってしまうんだろう。
「そうだね、祈」
「クネヒトさん、キスをしてもいい?」
「いいよ、祈」
 許しを得て、祈はクネヒトの頬に手を当てる。ゆっくり顔を近づけて、そっと唇を重ねた。
 18になるまでお預けだと、キスもそれ以上の事もしないできた。
「ああ……僕はなんて悪い子なんだろう」
 触れるだけの甘い甘いキスで、祈は頬を真っ赤にした。たったそれだけの触れ合いで、幸せの余韻がおさまらない。
「どうして?」
「僕はこの時をずっと待っていたんだから」
 恥ずかしそうに言う祈の、頭をクネヒトの手が撫でた。いつもそうだったが、大きな手が包み込んで安心した。
「私も同じだったよ、祈」

 悪い子供には石炭を、もっと悪い子供には臓物を、もっと悪い子供は袋に入れて連れ去っていく。
 連れていかれた悪い子供はどうなるのだろう。
 きっと、幸せになるのだろう。

終わり