※最後は少グロでバッドエンドです
カンカンカンカンーー。
踏み切りが鳴り始める。
空は赤い夕暮れて染まり、影は色を増す。
踏み切り横の信号が、左右からの電車の接近を示していた。
カンカンカンカン、ゴーーーー。
時速120kmの電車がすれ違い、突風のような風が吹き抜ける。電車の連結部の隙間から、向こう側の世界が見えた。
踏み切りの中、電車の間、その先に、別の世界があると、僕は信じていた。
カンカンカンカン……。
電車が通り過ぎると辺りはシンと静まり返る。
自殺したいわけではない。
ただ、そこに、ここではないどこか別の世界があるように思えた。
きっと、高速で駆け抜ける電車同士の僅かな隙間に磁場の狂いが生じて、向こう側と繋がる瞬間を僕は見ているんだ。
そんな曖昧な推論を、僕は信じた。
カンカンカンカン、ゴーーーー。
《異世界転移エンデバー》
「ーーーー」
真っ暗だった。なにも見えない世界で、誰かが何かを言っている。
「ーーーー」
「ん……」
身体を揺さぶられ、目を開ける。真っ暗だったのは僕が目を瞑っていたからだと理解した。
最初に飛び込んできたのは、金の髪が揺れ、その奥にある深い蒼い目が僕をじっと見つめている様子だった。
「ーーーー」
その顔は、僕が目覚めたことに気がつくと柔らかく微笑んだ。ここは一体どこで、彼は誰なのだろう。
なにも理解できない僕に、彼はなにかを話し続けたが、僕にはその言葉の意味が理解できなかった。英語や、聞いたことのある他の言語でもないようだ。
「あー、えっと……わからない、わからないです」
わからないと言ったところで、僕の言葉も彼には理解できないだろう。それでも彼はなにかを察したらしい。喋るのをやめて、僕の手を取り、身体を起こさせてくれる。
まるで紳士の振る舞いに、王子様のように思えた。
「ーーーー」
彼はなにかを言って微笑むと、僕の手にキスをした。そしてそのまま僕を見つめてくる。その射抜くような視線に、僕はドキドキとした。
「ーーーー」
「え、」
彼はなにかを言うと、僕の手を引き立たせてくれる。ようやくあたりを見渡した僕は、ハッと息を飲んだ。
空はまだ明るいのに、満天の星が瞬いている。足元には背丈の低い、緑と言うより青い草花が見渡したずっと遠くまで広がっていた。まるで水中のような世界だ。
そこに、酷く不似合いな場所が一つだけあった。すぐ側にあるそこだけおかしかった。
まるで絵本の一ページに朽ちた鉄の塊を置いて、その錆が汚したような。別の世界を間違えて切り取って置いてしまったような。
草花の上に突然現れるそこには線路が敷かれていて、赤と黒で無残に汚れていた。その付近だけはいやに空気が淀んで見える。不気味だった。視界に入れただけで、背筋がぶるりと震えるようだった。
「ーーーー」
彼は怯える僕の肩を抱いてなにか声をかけてくれた。人の体温で少し落ち着いた。
彼はその不気味な場所と僕とを交互に指差す。
「ーーーー」
「え……あ、僕はあそこから来た、のかな」
僕も自分とその場所とを交互に指差すと、彼は頷いた。
つまり、僕の信じた別の世界はここで、確かにこうして存在したらしい。
「ーーーー」
「……?」
彼はまたなにかを言って、今度は彼自身と僕を指差し、そしてあの不気味な場所を指差す。
なにかを伝えようとしているけれど、僕にはそれが理解できなかった。彼は僕の手をしっかりと握り、自分と僕を差し、あの場所を指差す。
「あ、あ……」
もしかして、と思いついたのは、彼が向こう側に行きたいと言っているのでは、という事だった。
彼は僕と一緒に、僕のいた世界へ行きたがっている。
「そんなの、向こうに行ったっていい事なんてないよ」
僕は首を振った。
だって、こんなに美しい世界なのに。
僕の気持ちが伝わったのか、彼は残念そうに微笑むと、僕の手を引いて歩き出した。なにかを言って自分自身を指差した。繰り返し、繰り返し。
「もしかして、君の名前?」
「ーーーー」
「ん……る、るぃ、るりら……るりぁ」
「ーーーー!」
「るりぁ」
彼の言葉を真似して言うと、彼は飛び切りの笑顔を見せた。そうか、るりぁ、と言うのが彼の名前なのか。
「ーーーー」
今度はとんとん、と僕の胸を叩いて、僕の言葉を待っている。僕の名前を聞きたがっているらしい。
「弓月(ユヅキ)、ゆ、づ、き、ゆづき」
「ーーーーユジキ、ユジュキ」
「あはは、うん、ユヅキ」
「ユジュキ」
真っ直ぐな瞳が僕を見つめた。風が吹き抜けて、青の世界の中で一際輝く彼が、そっと顔を近づけるのを、僕は見つめるしか出来なかった。
柔らかい口付けに、僕は胸がドキドキと痛いくらい高鳴るのを感じた。
見知らぬ世界でるりぁと過ごす日々は、とても優しい毎日だった。
町の外れに住むるりぁの家で寝食を共にする。夜明けと共に目覚め、夕暮れ時には外を散歩し、夜は優しい愛に満たされる。
るりぁはまだ向こう側に行きたいようだったが、あの不気味な場所を遠目に眺めては、僕に微笑んで、大丈夫だよ、とでも言うように取り繕った。
彼もまたこの世界で外れ者だった。人との交流もなく、町の中に行くことはほとんど無い。
その理由はやはり、あの不気味な場所が原因のようだった。るりぁはあの不気味な場所と向こう側の世界に興味を持って調べているらしい。
るりぁの家の中には紙束や本が散乱していた。僕にはその言葉、もはや形式が違いすぎて文字とすら認識できなかったけれど、あの場所について調べられた文献のようだった。
この世界には他にも、あの場所と同じようなところが存在している。でも、町の人たちは僕同様、あの場所を不気味がって近寄りもしない。だから、そこを調べるるりぁも不気味がられているようだった。
「どうしてるりぁは向こう側に行きたいの?」
きっと、通じない言葉で僕は聞いた。
初めて僕たちが出会った場所で横になり、明るい星空を二人で見上げた。
僕は元の世界を思い出した。
向こう側でもこうして空を見上げた。でも、全然綺麗に思えなかった。いつも泣いていた。苦しくて、辛くて。
僕がこちら側を求めたのは、向こう側に居たくなかったからだ。向こう側に居場所がなかった。
外れ者のるりぁを見て、僕と同じ境遇なのかと少しだけ嬉しくなった。けれど、るりぁが向こう側を諦めればきっと町の人たちも受け入れてくれるに違いない。
居場所があるのに向こう側を求めるるりぁは、僕とは違うのかと思うと少しだけ悲しくなった。
「……でも、るりぁが向こう側に興味を持ったから、僕たちは出会えたんだよね」
きっと名前だけ聞き取れたんだろう。るりぁは僕に顔を向けて、優しく微笑んだ。
「ユジュキ」
どの世界の誰よりも一番、優しい声で僕を呼ぶ。僕はるりぁが好きだった。
物語の結末は想像に易いものだった。
あの場所で向こう側を憂うるりぁに、僕はついには情に絆されてしまった。
向こうの、元の世界でもるりぁと一緒なら大丈夫かも知れない。だめだったらまたこちらに戻って来ればいい。
「いいよ、向こう側、行ってみよう」
僕はるりぁの手を握ってそう言った。
るりぁの瞳は星空が瞬くように輝いた。
「ーーーー」
興奮した様子で、早口でなにかを言っている。なにを言っているのかわかりはしないけれど、とても喜んでいるのがわかった。
るりぁはそれからたくさんの本を読み返して、向こう側に行くための準備を整えた。一週間もして、ようやくあの不気味な場所の前に立つ。
緊張でバクバクと心臓が激しく打った。そこを目にするたびに、僕は嫌な気持ちになっていた。身体中が冷え切っていて、右手で握るるりぁの手だけが熱を持っているようだった。
「ーーーー」
るりぁはなにかを言うと、僕を見つめてキスをした。今までで一番長いキスだった。
離れてしまうのが名残惜しい。向こう側に着いたら一番にキスをしよう。
僕たちは向きなおる。
青い草原の真ん中にぽつんと佇む線路。錆びた鉄の臭いの奥に、脳の底で眠る向こう側の臭いがした。
どこにも踏み切りはないのに、頭の中でカンカンカンカンと踏み切りの鳴る音がする。
それはいつしか本当に鼓膜を揺さぶる。
これは夢か、現実か、こちらか向こうか。曖昧になって世界が歪む中で、右手の熱だけは確かに感じていた。
カンカンカンカン、ゴーーーー。
吹き付ける強い風にハッと目を開ける。そこは見知った世界で、いつもの踏み切りの中に僕はいた。
遂に、ついに戻ってきてしまったんだ。
耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。なにが起きているのかわからなかったけれど、僕は右手を強く握った。大丈夫だ、るりぁが居れば。るりぁと居れば。
そう思ってるりぁのいる方を見た。
「え……」
錆びた鉄の臭いが、右手の熱が、目の前の世界がぐらりと歪む。
僕は意識が薄れて倒れ込んだ。
血と肉片の飛び散る線路の上で。
終わり
ーー某学者の手記
例の「交点」にて人を発見する。
言語は通じていないが、あちらから来た「訪問者」で間違いないようだ。
「交点」の匂いが彼からした。
「ユジュキ」と言うらしい。
彼も私の名を呼んだ。
まるで生まれたての赤児に呼ばれたような、くすぐったさを感じる。
生存している「訪問者」は実に珍しい。
いつもは血と肉片による物しか確認出来なかった。
彼とこれまでの「訪問者」との違いは何なのだろう。
興味深い。
それを除いても、彼には他にない魅力を感じた。
私にはありきたりのこの世界を、彼は新鮮なものに思えるらしい。
そんな彼を見るのが楽しい。
この日の素晴らしい出会いを、私は神に感謝する。