1/2バク

 バクと人間の間の子供は、「夢」という意味の、「ムウ」と名付けられました。
 けれど、ひとりぼっちで寂しく泣くムウの名前を呼んでくれる人は、誰もいません。
 ムウはひとりきりでした。

 ある日ムウは、夢の中にいました。
 誰も夢の入り方を教えてくれなかったので、夢に入るのは初めてでした。
 その夢の中はとてもきらきらしていました。
 ムウは人間として夢を見ましたが、半分バクだったので、上手に夢を見れませんでした。
 だからムウの夢は、いつも暗く寂しい悪夢でした。
 それに夢と現の狭間は真っ暗でなにもありませんでした。
 だから、きらきらの夢の中で、ムウはとても感動していました。
 ムウの目も夢に負けないくらい、きらきら輝いていました。
 しばらく歩いていると、人の姿が見えました。
「あれ、いつものバクと違うバクだね。こんばんは、初めまして」
 その人はムウに優しく笑いかけました。
 ムウは夢と現の狭間以外への行き方を知らなかったので、人に会うのも初めてでした。
ムウは嬉しかったけれど、きっとその内嫌われてしまうからと思い、その人に近付くのをやめました。
 ムウがいつもひとりぼっちなのは、きっとみんなから嫌われているからだと思っていました。
「どうしたの? お腹空いてるの? 
 だったら、食べてもいいよ。食べすぎられちゃうと困るけど」
 その人はムウに言いました。
 ムウが捨てられた子犬のようで、なんとなく放っておけなくなったのです。
「え、このきらきら、食べれるの? 食べていいの?」
 ムウは聞き返しました。
「食べていいんだよ」
 その人は、君はバクなのにそんなことを言うなんて面白いなあ、と笑いました。
 ムウは夢を食べるのは初めてでした。
 それどころか、このきらきらが食べれるなんて思いもしませんでした。
 だからムウは、一口つまんで食べることにしました。

 パクリ。




 ムウが気が付いた時には、世界は真っ暗になっていました。
 ああ、何かしてはいけないことをしてしまったんだ。
 ムウは恐ろしくなって、夢から抜け出しました。
 どうやって、夢と現の狭間に戻ってこれたのかもわかりません。
 とにかく必死で、戻ってからはうずくまり、何も考えないようにしました。
 ごめんなさい、ごめんなさい。
 ムウは何度も、小さな声で謝り続けました。
 許してくれる人が誰もいないので、一人で謝り続けるのでした。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「なあ、お前さ」
 誰かがムウに話しかけました。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
 けれど、ムウは気付きませんでした。
「夢、食べ尽くしちゃったんだって?」
 誰かは気にせず、話し続けました。
 ぴくっ。
 ムウは、少しだけ反応しました。
「夢と心は同じだ、って言うだろ? 夢を喰い尽くされた人間は当然、心を無くすわけだよな」
 誰かは残酷にも、言葉を続けます。
 ムウは自分の体をぎゅっと抱き締めました。
「ごめんなさい……」
 ムウはかたかた震えながら、小さく言いました。
「許して……だって……ごめんなさい……だって知らなくて……そんなつもり……だって……」
「知らないから全部食べて人の心を無くしてしまいました」
「っ……だって……」
 誰かは、ムウの頬に手を当て、顔を上げさせました。
 ムウの顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていました。
「ひっでぇ顔」
 誰かは笑いながら、空いてる方の手でムウの顔を拭ってやりました。
「大丈夫だよ。お前が心を喰っちまった人間は、心を取り戻した」
 誰かの言葉に、ムウは目を見開きました。
「今じゃまた、あのきれいな夢に戻ってる」
 ちゅ、ちゅ、誰かは、赤く腫れたムウの目元に軽くキスをしてあげました。
「……ほんと?」
「ああ。あいつらはもう、というか初めから、お前を恨んではいないさ」
 ムウは、怒られたり恨まれるのが怖かったわけではありませんでした。
 しでかした事に、ムウはただ怯えていたのです。
 こんなこと、するつもりじゃなかったのに。
 だけど、解決する方法は、誰に聞けばいいのかも知りませんでした。
 だから、ただ苦しげに、懺悔を繰り返すのです。
「お前だって本当は、優しくしてほしかっただけだよな」
 ちゅ。誰かは、ムウの額に優しくキスをしました。
 ムウは目をつぶって、なんだか心地のいいそれを受けます。
「じゃあ、あなたがぼくを怒りにきたの?」
 ムウの頬に触れていた手は、いつのまにかムウの頭を優しく撫でていました。
「違う。オレは、お前の悪夢を食べに来たんだ」
「ぼくの悪夢?」
 ムウは、思いもよらない答えにまた目を見開いて、誰かを見つめました。
「ああ。ずっと、悪夢が怖くて寝れなかっただろ。1人で心細かっただろ。
 だから、オレがお前の悪夢を食べてやるんだ」
 誰かは、ムウがあまりにもぽかんとした顔で見てきたので、つい笑ってしまいました。
「今夜からは、楽しい夢を見るんだ」
「ぼくも、あのきらきらした夢を見れるの?」
「ああ、もちろんだ」
「見ていいの?」
「もちろん」
 ムウの寂しい言い方に、誰かは悲しい顔をして、それから優しく笑って言いました。
「きれいな夢の中で眠れたら、何も知らないお前に、オレが全部教えてやるよ」
「全部?」
「ああ、全部。だからもう、1人で泣かなくていいんだぞ」
 ぽふ。
 誰かはムウを胸に抱き締めました。
 ムウは、こらえきれず、泣き出しました。
「まずは、オレの名前から教えるよ」

 その日、ムウは生まれてから初めて、心地よい夢の中で眠ることができました。
 眠るムウの顔は幸せそうで、きっとこれからも、ずっと幸せそうに眠るのでしょう。
おわり