バクと人間の間の子供は、「夢」という意味の、「ムウ」と名付けられました。
けれど、ひとりぼっちで寂しく泣くムウの名前を呼んでくれる人は、誰もいません。
ムウはひとりきりでした。
ある日ムウは、夢の中にいました。
誰も夢の入り方を教えてくれなかったので、夢に入るのは初めてでした。
その夢の中はとてもきらきらしていました。
ムウは人間として夢を見ましたが、半分バクだったので、上手に夢を見れませんでした。
だからムウの夢は、いつも暗く寂しい悪夢でした。
それに夢と現の狭間は真っ暗でなにもありませんでした。
だから、きらきらの夢の中で、ムウはとても感動していました。
ムウの目も夢に負けないくらい、きらきら輝いていました。
しばらく歩いていると、人の姿が見えました。
「あれ、いつものバクと違うバクだね。こんばんは、初めまして」
その人はムウに優しく笑いかけました。
ムウは夢と現の狭間以外への行き方を知らなかったので、人に会うのも初めてでした。
ムウは嬉しかったけれど、きっとその内嫌われてしまうからと思い、その人に近付くのをやめました。
ムウがいつもひとりぼっちなのは、きっとみんなから嫌われているからだと思っていました。
「どうしたの? お腹空いてるの?
だったら、食べてもいいよ。食べすぎられちゃうと困るけど」
その人はムウに言いました。
ムウが捨てられた子犬のようで、なんとなく放っておけなくなったのです。
「え、このきらきら、食べれるの? 食べていいの?」
ムウは聞き返しました。
「食べていいんだよ」
その人は、君はバクなのにそんなことを言うなんて面白いなあ、と笑いました。
ムウは夢を食べるのは初めてでした。
それどころか、このきらきらが食べれるなんて思いもしませんでした。
だからムウは、一口つまんで食べることにしました。
パクリ。
ムウが気が付いた時には、世界は真っ暗になっていました。
ああ、何かしてはいけないことをしてしまったんだ。
ムウは恐ろしくなって、夢から抜け出しました。
どうやって、夢と現の狭間に戻ってこれたのかもわかりません。
とにかく必死で、戻ってからはうずくまり、何も考えないようにしました。
ごめんなさい、ごめんなさい。
ムウは何度も、小さな声で謝り続けました。
許してくれる人が誰もいないので、一人で謝り続けるのでした。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「なあ、お前さ」
誰かがムウに話しかけました。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
けれど、ムウは気付きませんでした。
「夢、食べ尽くしちゃったんだって?」
誰かは気にせず、話し続けました。
ぴくっ。
ムウは、少しだけ反応しました。
「夢と心は同じだ、って言うだろ? 夢を喰い尽くされた人間は当然、心を無くすわけだよな」
誰かは残酷にも、言葉を続けます。
ムウは自分の体をぎゅっと抱き締めました。
「ごめんなさい……」
ムウはかたかた震えながら、小さく言いました。
「許して……だって……ごめんなさい……だって知らなくて……そんなつもり……だって……」
「知らないから全部食べて人の心を無くしてしまいました」
「っ……だって……」
誰かは、ムウの頬に手を当て、顔を上げさせました。
ムウの顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていました。
「ひっでぇ顔」
誰かは笑いながら、空いてる方の手でムウの顔を拭ってやりました。
「大丈夫だよ。お前が心を喰っちまった人間は、心を取り戻した」
誰かの言葉に、ムウは目を見開きました。
「今じゃまた、あのきれいな夢に戻ってる」
ちゅ、ちゅ、誰かは、赤く腫れたムウの目元に軽くキスをしてあげました。
「……ほんと?」
「ああ。あいつらはもう、というか初めから、お前を恨んではいないさ」
ムウは、怒られたり恨まれるのが怖かったわけではありませんでした。
しでかした事に、ムウはただ怯えていたのです。
こんなこと、するつもりじゃなかったのに。
だけど、解決する方法は、誰に聞けばいいのかも知りませんでした。
だから、ただ苦しげに、懺悔を繰り返すのです。
「お前だって本当は、優しくしてほしかっただけだよな」
ちゅ。誰かは、ムウの額に優しくキスをしました。
ムウは目をつぶって、なんだか心地のいいそれを受けます。
「じゃあ、あなたがぼくを怒りにきたの?」
ムウの頬に触れていた手は、いつのまにかムウの頭を優しく撫でていました。
「違う。オレは、お前の悪夢を食べに来たんだ」
「ぼくの悪夢?」
ムウは、思いもよらない答えにまた目を見開いて、誰かを見つめました。
「ああ。ずっと、悪夢が怖くて寝れなかっただろ。1人で心細かっただろ。
だから、オレがお前の悪夢を食べてやるんだ」
誰かは、ムウがあまりにもぽかんとした顔で見てきたので、つい笑ってしまいました。
「今夜からは、楽しい夢を見るんだ」
「ぼくも、あのきらきらした夢を見れるの?」
「ああ、もちろんだ」
「見ていいの?」
「もちろん」
ムウの寂しい言い方に、誰かは悲しい顔をして、それから優しく笑って言いました。
「きれいな夢の中で眠れたら、何も知らないお前に、オレが全部教えてやるよ」
「全部?」
「ああ、全部。だからもう、1人で泣かなくていいんだぞ」
ぽふ。
誰かはムウを胸に抱き締めました。
ムウは、こらえきれず、泣き出しました。
「まずは、オレの名前から教えるよ」
その日、ムウは生まれてから初めて、心地よい夢の中で眠ることができました。
眠るムウの顔は幸せそうで、きっとこれからも、ずっと幸せそうに眠るのでしょう。
おわり