ユメ

 ふと気が付くとバス停の前に立っていた。
 辺りは黄色い砂が一面の砂漠のようだったが、暑さはない。
 ここで何をしていたのか、バスを待っていたのか、どこから来てどこへ行くのか。
 そんな全てのことが思い出せなかったが、そもそも思い出そうともしていなかった。
 ただそこに存在していた自分に、今ようやく気が付いた、そんな気分だった。
 僕は顔を上げてバス停を見る。
 黄色い砂で錆びて汚れたバス停の、停留所の名前は掠れて読めなくなっていた。
 時刻表はデタラメで、数字ではなく丸や四角、見たことの無い記号などが並んでいた。
 バスの運行路もわからなかった。ここが、バス停ということ以外は何も。

 ブロロロローン、キキィ。
 どれくらいの間があったのか、しばらくすると青地に黄色い屋根の、寂れたバスがやってきて停留所に止まる。
 そんなに大きくないバスで、ドアは手動らしく、運転手が席を立ってガコンと扉を開ける。
「どうぞ」
「どうも」
 僕は当然のように、それは毎朝通勤に使用しているくらいの自然さでバスに乗り込んだ。
 車内は暑くも寒くもない。床板は木張りで、歩くとギシギシと軋みをあげた。
 運転席の横には乗車賃を入れるケースがあり、下には大きく「後払い」「夢支払いのみ」と書かれているのを横目でチラリと見た。
 運転席の後ろには二人掛けシートが五つ、その反対側には一人掛けが三つ、一番後ろに五人掛けの長い席があった。
 僕は後ろから二列目の、一人掛けの席に座る。その途中、後ろから三列目の二人掛けシートに少年が座っている事に気付いた。
 少年は透けるように白い肌で、髪も真っ白だった。アルビノとか言うやつだろうか。スヤスヤと眠っていて、起きる気配はない。
 それ以外には客もおらず、僕は席に着くと窓の外を眺めた。相変わらず、黄色い砂が延々と続いている。
 どこまでこの砂漠は続くのだろう。
 このバスはどこからきて、どこへ行くのだろう。
 そんなことを考え始めた頃、ようやくバスは動き始めた。
 ブロロン、意外とそんなに揺れない。ガタガタ、車体が音を立てたが、定期的な音になんとなく落ち着く。

 ふと、視界が暗くなり、外を見ると大きな鉄塔が立っていた。赤いそれは錆びていて、高く高くそびえ立つ。
 他に見るものもない僕は不意に気付いたソレに、背筋がゾッとした。
 最初は電線に鳥でも止まっているのだと思った。しかし、よく目を凝らして見れば、何かが吊られている。人だ。
 鉄塔から伸びる電線には人が首を括って吊られていた。微かに揺れて見えるのは風でも吹いているのか。
 不気味なそれから目を逸らすと、今度は別のものが目に入った。
 砂漠には不似合いな、巨大なメリーゴーランドだった。それもまた少し錆びて汚れている。
 あまり良い予感はしないが、他に見るものもないから視線が逸らせない。ドキドキとしながら見ていると、また、不気味なものが目に入る。
 元は白馬だったであろうそれらは赤く汚れている。一つ一つに何かが乗っていたが、べちゃりとへばりつくような塊になっている。
 場所によっては元の形が見えた。細い腕とか、カウボーイブーツの靴だとか、そう言うのが見えるたびに嫌な気分は一層増した。
 キキィ。唐突にバスがそこへ止まる。停留所もないのにどうして、と前を見ると、運転手が席を立った。
 パタン、と運転席の後ろにあった小さい冷蔵庫からペットボトルを二つ取り出す。
「喉乾いたろう、飲みな」
「どうも」
 差し出されたそれは、見たこともないラベルの貼られた透明な液体の入ったボトルだった。
 冷蔵庫から出したばかりだから、手の中でひんやりとして、気温差に水滴が付いた。
 僕は蓋を開けて一口飲んだ。ただの水なのに、ほんのりと甘い気がする。
「ここは暑いからな、夢見が悪い」
 運転手は言いながら、白い少年の眠る席に浅く腰掛ける。白い少年のシャツのボタンをプツンプツンと外していき、白い胸が露わになった。
 それでも白い少年は目覚める気配はない。
 運転手はペットボトルの蓋を開けて、一口を口に含んだ。そして、白い少年に被さる。
 僕はなんだか見てはいけないものを見ているようで顔を逸らしたくなった。それなのに、どうしてか魅入ってしまう。
 白い少年に運転手は静かに口付けて、水を飲ませてあげた。
「さあ、行こうか」
 運転手はこともなげに言い、運転席に戻った。白い少年は相変わらず目覚める様子もない。
 僕は手にした微かに甘い水を飲みながら外を見つめる。
 不思議なことに、さっきまであれほど不気味に見えたメリーゴーランドがそんなに不気味でなく見えた。色が新品のような真白に戻ったからだろうか。
 その内にバスは動き出す。
 白馬に乗ったソレらも元の姿に戻ったようだが、もう遠くてよく見えなかった。

 窓の外ではコロコロと景色が変わった。
 時には遥か遠くに水平線の霞む海になって鯨が飛び跳ねた。
 時には鬱蒼とした森がトンネルを作り、爽やかな風がサヤサヤと木々を揺らした。
 そんなものを見ながら、僕も何処かに行きたかった事を思い出す。
 あれは何処だったか。まだ小さい頃に見たそこに、僕はずっと行きたかったんだ。
 あれは……。

 僕は思い出そうと目を瞑り、そして開くと、ハッと息を呑んだ。
 窓の外には夜が訪れ、空一面に星が輝く。遠くで、近くで、どれも同じようにキラキラと。
「ああ……そうだ……」
 思い出したソレに飲み込まれそうになっていると、後ろでゴソゴソと動く音がした。
 振り返ってみると、白い少年が目覚めたらしい。
 赤い瞳が星屑を反射してキラキラと輝いている。
 空を眺めて、無表情なのにどこか嬉しそうに見えた。


 それからバスは速度を落とし、鈍行で星空の下を走っていく。
 僕は幼い頃、どこか田舎の方でこの星空を見上げたことを思い出す。
 目を瞑って眠ってしまうのがもったいくらいだった。
 ブロロン、キキィ。
 しばらくしてバスは停留所に止まった。僕は、そこが僕の降りる場所だと知っているようだった。
 僕は名残惜しい気もしながら席を立ち、乗車賃を支払おうと財布を探った。
「お客さん、支払い済みだよ」
 運転手は「夢支払いのみ」の表示をコツコツと叩いた。僕は一瞬ぽかんとしたが、なんとなく理解した。
 そうか、これは僕の夢なのだ。
 僕は手動のドアを開いて降りる。深呼吸すると澄んだ空気が肺を満たした。
 それからどこへ向かうのか、僕はわかっていて真っ直ぐ歩いていく。
 ふと振り返ると、停留所の傍が草原になっており、そこに運転手と白い少年が座っているのが見えた。
 彼らは空を見上げていて、遠くてよくわからないのに楽しそうにしているのが見えた。
 僕はまた前を向いて歩き出す。

 目を開くと暗い部屋で、天井が見えた。頭はやけにスッキリしている。
 どんな夢だったのかよく覚えていないが、良い夢だった気がする。
 コンコン、ガチャ。
「宙(ソラ)先輩、おはようございます。あ、起きてましたか」
「うん、ちょうど今」
 後輩の星乃(ホシノ)が、シャッシャッとカーテンを開く。
 明るい日差しが気持ち良かった。
「あれ、なんだか機嫌良さそうですね」
「ああ。ちょっと、良い夢を見てね」
「えー、どんな夢ですか? エッチなやつですか」
「バカ、違うよ」
 他愛もない会話に笑いながら、僕は夢のカケラを反芻した。
「夢だよ、これから行く」

おわり