サイドストーリー:兄1

 大学が春休みになって、久しぶりに実家に帰った。といっても、誰もいないこの家。実家と言うには、少し寂しすぎやしないか。
 父親、母親は2人とも家を出て行った。というより、帰ってこなくなった。俺も大学を口実に逃げた。
 だから弟は一人で暮らしている。
 今は静かで、弟はいないのだろうか。

 夜になっても弟が帰ってくる気配がなかった。
 もしかして夜遊びしてるのか?友達の家に泊まりでもしてるのだろうか?
 今時そんなことも珍しくはないだろう発想。
 がちゃん、ばたん。
 廊下に大きい音が立つ。ああ、いたのか。それだけ思った。
 どうやらトイレに駆け込んだらしく、もっと静かにできないのかと思った。一瞬前までどれだけ静寂だったのかも忘れて。
 トイレにずっと閉じ籠る弟。なにしてるの、なんて野暮なこと。

 用事で昼前に家を出る。弟と同じ屋根の下にいるのに、顔も見ない状況。兄弟なんてそんなもんだろう。多分。
 ……顔見たところで、なに話せばいいか分からないし。
 逃げていた罪悪感が沸き上がる。あの家は静かで、なにもなかった。そんな家に一人、弟を置いてきぼり。
 捨てたも同然の親を罵れるほど、俺も、弟の面倒なんて見ちゃいない。ぐれていないなら奇跡じゃないか?

 用を済ませ、夕方に家に戻る。出ていく前と後とで、なにも変わらない。リビングにも変化がない。生活感がない。
 高校はまだ授業あるはずだよな、さぼりか?それよりも飯は。
 リビングにずっと居座っていた俺が、弟を見ていないということは、食事もしていないということだ。今日出掛けてからも食べた様子はないし。冷蔵庫には食べ物は入っていなかった。
 あいつ、なにしてんだ?

 心臓が止まりそうになった。というのをほんとうに体験した。
 弟の部屋に入る。空気がよどんでいる。冷たくて、凍ってしまいそうな部屋。人がいるはずなのに、人が暮らしてるような気配がない。
 布団に眠る双海。まるで死んでるみたいな、真っ白な顔。
 走馬灯みたいに色々なことが頭をよぎる。
 ひとつ強く後悔したのは、なぜ、なにもしてやらなかったのか。
 布団に駆け寄ると弟は小さく寝息を立てていた。時おり眉間にしわを寄せ、苦しそうに呻く。額に手を当てると、ひどい熱だった。
 人はそうそう簡単には死なないのだ。
 もう実家を出るつもりだったが、弟を放っておくわけにもいかず、夜通しで看病をする。
 悪夢にうなされる姿は痛々しい。罪悪感で、いつまでもそばを離れられなくなった。
 少し前まではちゃんと兄弟だったのに。いつからこうなった?

 気がついたら寝てたらしい。高熱で寝込む病人と同じベッドで寝る俺、チャレンジャーすぎるだろ。
 小さくて収まりのいい弟はメールに夢中。もうそんな元気になったのか。ほっとする。
「死んでるのかと思った」
 無意識に口走っていた。弟は、ばかばかしいみたいな顔で俺を見た。
 俺もばかばかしいと思う。少し恥ずかしくなったけど。でも、思ったことは事実だったから、仕方ない。
 熱は大分下がったようで、冷えピタだけ付け替えておく。そういえば、弟はずっと飯を食べていないんだっけ。胃に優しいものなんて作ったことがない。
 この家には米さえもなくて、仕方ないからスーパーまで買いに走る。ついでにおかゆの作り方もぐぐる。
 俺って今かなり献身的。今なら道を歩いてるおばあさんの手をひいて、地球の裏側まで案内できそう。とか、意味わかんない。
 熱うつったか?