一章

 昔々あるところに一人の男がいました。
 男は飢えで滅びそうな故郷のために新しい土地を探していました。
 しかし、ようやく辿り着いたのは草一本生えていない土地でした。
 男が生き絶えそうなその時、神様が現れました。
 神様は男を見て憐れみました。
 そして神様はお力を男に分け与えました。
 男は分け与えられた力で不毛の地を変えました。
 水が湧き土を潤し緑が生い茂りました。
 男はそこで新たな国を作りました。
 トワ=オーデン王国の始まりです。

「キイ、準備は出来たか」
「はい」
 キイ、と呼ばれた彼の返事で仕切りのカーテンを開く。そこには真白のドレスを身に纏った、青年の姿があった。
 ヤマトは目を細めて微笑む。よく成長してくれたものだ、と感慨深いものがあった。
 八年前の、リヒト王子生誕祭前夜のこと。襲撃事件を受けて国の体制は色々と変化があった。大きく変わったのは王国の守護警備隊だった。
 襲撃を見抜けなかったそれまでの隊長、副隊長は責任を取って辞任。王家専属の守備隊を新しく構築し、そこに選出されたうちの一人がヤマトだった。
 ヤマトは当時十六歳だったが、高い戦闘技術と神力(シンリョク)を買われ、エリートとも言える専属守備隊の中核を担った。
 神力とは、トワ王国王家が建国の折に、神様から授かった力の事だった。王家の血筋にはその力が色濃く受け継がれている。また、神力を使って建国されたこの国で、住まうものにもその恩恵があった。
 よその国では「魔力」などと呼ばれていたが、トワ王国では他とは一線を画し神格化され、「神力」と呼んでいる。
「リヒトさまによく似ている」
「……ありがとうございます」
 ヤマトが褒めると、キイは微笑み返す。
 八年前、ヤマトが専属守備隊に入るのと時を同じくして当時八歳だったキイも入隊した。しかし、キイには神力が少しも、それこそ生まれながらの赤子ですら持つほんの小さな力すら持っていなかった。
 さらに左腕は二の腕から先がなく、それ以前の記憶もなかった。人並みの言語も知識も持たないキイの世話が、ヤマトの仕事だった。
 年端もいかない、力も持たないキイが何故専属守備隊にいるのか。他の隊員から不満が出ることもあった。しかしそれは、今日の日のためだったのだと思うと、ヤマトは胸が痛む。
「キイ」
 ヤマトが呼んだ。キイが顔を上げると、真っ直ぐに見つめる瞳が静かに近寄る。唇が重なる。
「ーーッ」
 キイの瞳が揺れた。唇から流れ込む熱が身体中を駆け巡る。体温は高まり、動悸が激しくなる。
 ちゅっ、と音を立ててヤマトが離れた。キイは身体に力が入らずカクンと落ちそうになるのを、ヤマトが受け止めた。
「俺の力を分け与えた」
 唇から注がれた熱はヤマトの神力だった。神力は唇に宿る。祈りを込めたキスを額にするのが一般的だった。
「あ、あ、ありがとうございます」
 普段神力を持たないキイは、まるで熱に浮かされたようだった。ヤマトにしがみつきながら、真っ直ぐ立つのに少し時間がかかった。
「今日は特別な日だから」
 ヤマトが言いながら、キイの左耳に触れる。カチン、と音を立てて着けられたのは青く光る鉱石のピアスだった。そこにもまた神力が込められていて、そのピアスを外さない限りキイの声が空気を震わす事はない。
 特別な日。ああ、そうだ。
 キイは思いを馳せる。自分がこの日まで生かされた理由を、自分が何のため生まれたのかを。

 キイは自分の姿を「借り物」だと思っている。純白のドレスも、左腕の義手も、自身の立ち振る舞いも。八年かけて作り上げた、まるで本物らしい「リヒト王子」の姿だった。
 八年前の「あの夜」、リヒト王子はその左腕と言葉を失った。それ以来人前に姿を現す事はなくなり、城の中で過ごしている。
 もとより、神様から力を分け与えられた王家の子供は、生まれてから成人を迎えるまでの十六年を「神子(ミコ)様」と呼ばれ、神聖な存在として扱われていた。
 神子様の公務は限られており、八歳の生誕祭、そして十六歳の成人祭でのみ姿を見せる事だった。成人を迎えられて以降は、国を導く身として前に立たれる。それまではその神聖な存在である事が仕事だった。
 いよいよ十六を迎えるリヒト王子の成人祭は、今日からひと月後まで行われる。
 そのリヒト王子の影武者として育てられたのがキイだった。
 同じ年頃で、偶然にもリヒト王子同様左腕を無くしている。王子の姿は限られた者のみが見知っていたが、曰く、キイの出で立ちはよく似ていると言う。
 ヤマトの元で兄弟のように育ち、格闘や勉強を学んだ。十四になってからは王家の振る舞いを叩き込まれた。
 そして、いよいよ今この時からひと月、キイは「リヒト王子」として、その役割を演じ続けるのだった。
 ただそのために、王家専属守備隊に入れられ、これまでの月日を費やしてきた。長く、短いような日々を思い返すと胸が熱くなる。それと同時に寂しさが募った。
 ドレスは神子様のために作られた物で、影武者のキイにも同じものがあてがわれた。左腕の義手も、リヒト王子の義手と寸分違わぬ最高品質の物だった。そんなものを着けられるのも、影武者だからだ。
 なにも持たないキイが、居場所も生活も与えられるのはすべて、リヒト王子の影武者だから。
 それは有難く名誉なことなのに、その事を思うと時折胸が締め付けられるように痛くなった。先ほどヤマトに「リヒトさまによく似ている」と褒められた時も、ツキンと胸が痛くなり言葉に詰まった。
 本当の自分は誰なのか。偽造品でしかない自分から逃げ出したくなる。それを繋ぎ止めるのはヤマトだった。