37友人

 最後の生放送から1週間が経った。瞬く間に時間は過ぎて行くのに、僕の状況はなにか変わる事もない。
 古佐治はあの生放送を見たらしく、すぐに『もしかして:俺のせい?』とメールを送ってきた。
 古佐治が悪い奴かといえば、高校時代から友人をしてきた身としては「憎めない奴」としか言いようがない。とは言え、ケリをつけなければ安心して柿狗くんに会うことも出来ない。
 時間を見つけて話し合わなければなあ。と考えても、気はそぞろで頭の中は柿狗くんの事でいっぱいだった。
 たった一週間会っていないだけなのに、すごいストレスを感じていた。
 柿狗くんがストレスの捌け口というわけではない。憐れで不憫でどうしようもない柿狗くんをぐしゃぐしゃになるまで愛してあげる。
 その瞬間がただただ好きだった。
 柿狗くんが僕や「生放送」に居場所を見つけていたように、僕も柿狗くんを通して居場所を見つけてしまっていたようだ。
 生放送を口実に過ごした日々が、柿狗くんとの時間が大切だった。酷く歪んだ愛情だと、僕自身も思うけれど。
「はあ……」
 ため息が増えた気がする。
 柿狗くんと距離を置いてからは、毎日毎日心配だった。ちゃんと眠れているだろうか、ご飯はしっかり食べているのだろうか。
 親心に近い感情だった。
 考えれば考えるほど、今すぐにでも柿狗くんを抱きしめてあげたくなる。
 眠れないなら眠れるまで、ご飯が食べられないなら食べられるように、そばに居て柿狗くんのために尽くしたい。
 会えない時間が増えると、柿狗くんへの思いが募っていく。
 僕の柿狗くんに対する思いは既にMAXだと思っていたけど、そんなことはなかった。
 柿狗くんに会いたいよー、そればっかり考えている。
 ポーン。
 軽い音が鳴って、携帯がメールの着信を告げた。もう休憩も終わる時間だったからサッと目を通すつもりで画面を開いた。
 僕はそのメールを見つめて固まる。
 それは柿狗くんからのメールだった。
 柿狗くんが、僕にメール?本当に、柿狗くん?
 はやる気持ちを抑えてメールを開く。
 え、なにこれ、間違いメール?柿狗くんからの初めてのメールは、件名も本文もない、真っ白なメールだった。
 添付画像があるわけでもない。メール作成画面にして、間違えてそのまま送信してしまったのかな?
 待ったら本文を書いてメールしてくれるだろうか。いや、柿狗くんのことだからもう送ってこないかもしれない。
 僕は短いながら、メールを返す。
『久しぶりー、どうかした?』
 そのあと休憩時間ギリギリまで待っても、柿狗くんから返信が来ることはなかった。おかげで仕事中に全く集中出来なかった。
 結局、仕事が終わって帰宅して次の日になってもメールは来ない。
 本当に間違いメールだったのかな。それはちょっと悲しいよ、グスン。
 次のメールが来たのはそれから2日後だった。やっぱり件名も本文もないメール。
 そのときちょうど、猫があくびをしていたので写メを撮って添付する。
『こんにちは、ちゃんと眠れてる?』
 そんなやり取りが続いた。
 間隔はまばらで、数時間でメールが送られてくる事があれば、忘れたように2、3日後になることもある。相変わらず件名も本文もないメールだった。真っ白のメールだけれど、僕にはなんとなくわかった。
 メール作成画面で、本文に何を書けばいいのかわからない柿狗くんが、ひとしきり悩んでくれた後に、空っぽのまま送った。
 きっとそんな理由の、空っぽのメール。でも僕には十分だった。
 あまり喋らない柿狗くんと、そんな柿狗くんの気持ちを想像して補完する僕たちのコミニュケーションは、もう慣れっこだもの。
 空っぽのメールが増えていったけれど、僕にこのメールを消すことは出来なかった。
 見えないのに、柿狗くんの心が送られてきている、そんな気がした。柿狗くんの心を消すなんて、出来っこないよ。
 柿狗くんがオナ禁しているなら、僕は柿狗くん禁と言ったところだろうか。
 死ぬほど言いにくい。
 柿狗くん断ちが続いて、かれこれ3週間になる。僕は携帯の中の真っ白なメールと、柿狗くんを撮影した画像を眺める時間が増えた。
 考えることは色々ある。
 生放送が再開する時のこと、柿狗くんの体調の心配、柿狗くんも僕のこと寂しく思っているのかな。
「悪い、遅くなって」
 古佐治が小走りで駆け寄る。僕たちは例の居酒屋で待ち合わせをした。
 お互いの都合がなかなか合わず、結局3週間もかかってしまった。
 僕は早く柿狗くんに会いたい。
 相変わらず金曜の夜は混んで賑わっていたが、わざわざ奥の半個室に席を予約していたので滞りなく座ることができる。
「えーと、じゃあとりあえず、仕事お疲れかんぱーい」
 軽いノリで古佐治が言ったが、僕は乾杯する気分にもなれない。
 完全に柿狗くんが欠乏していて、柿狗くん以外のことがぼんやりとしか考えられなくなっていた。こんなに会えない期間が続いたのは、中学生の時以来だ。
 中ニの夏休みが明けても柿狗くんは学校に現れず、結局そのまま不登校になった。僕が柿狗くんの家を訪ねるまで、柿狗くんに会うことは出来なかった。
 今も柿狗くんの不登校が続いているようなものだ。もう、通う学校はないのだけれど。
「……あのさ、生放送辞めたのってやっぱ俺のせい?」
 そんな僕に迎合した古佐治も、少し気落ちした態度で聞いてくる。
 マイナスな気分というのは本当に感染しやすいんだな。他の席は楽しそうなのに、僕たちの席だけがシンとして暗い空気に包まれていた。
「辞めてないって。古佐治と片を付けるまでのお休み期間だから」
 やっぱり辞めるって思っている人多いのかな。
 確かに、休むと言って姿を消したまま再開されることがない生放送や動画シリーズもあるようだけど。
 まあ、そう思われていたとしてもどうでもいいことだ。
「そうか」
 ジョッキをごとりと机に置いて、ふう、とため息をつく古佐治。
 粗暴な奴だけど、馬鹿みたいに元気だけはいい。そんな古佐治のしょぼくれた顔は珍しかった。
 端正な顔立ちで、昔から女子に好かれていたからなあ。柿狗くんとは全然違う顔のパーツで、つい眺めていると古佐治と目が合う。
 自分がどんなに情けない顔をしていたか気付いたのか、取り繕うように笑った。
「や、まさかさ、そんなおおごとにすると思わなくって」
「おおごとって……趣味の生放送を休止しただけじゃない。柿狗くんにオナ禁させる意味もあるし」
「でも、会うのも止めたんだろ」
 柿狗くんと会うのを止める事は生放送で言っていないから、またどこからか僕のことを監視していたのだろうか。
 そう訝しんでいると、古佐治は慌てて否定した。
「前に下戸ん家の最寄り駅行ったことは謝るって。まだあの辺り住んでんのかな、って行ったら感傷に浸っちゃってさ。だからあの日会ったのはほんと偶然。マジで気にしてんなら、ほんと、ごめんなさい」
 古佐治は床に手をついて、テーブルでよく見えないけれど土下座したようだ。
 そうか、偶然だったんだ。
 僕は肩の荷が下りたような気がした。柿狗くんのためだとか、なんだとか言いながら、実際僕自身が古佐治の事を怯えていたのだと今更気付いた。
 古佐治が僕の知らない恐ろしい化け物にでもなったような気がしていたけれど、古佐治は古佐治のままのようだ。
 なんだか、ホッとした。
「じゃあ何で柿狗くんとのこと、知ってるの?」
 僕が聞くと、古佐治はふっ、と笑った。そんな顔する柿狗くんを見たことがあった。
 なんで2人ともそんな顔するんだよ、なんか僕だけわかっていないようなのが悔しい。
「下戸の顔見りゃわかるって」
 そう言って僕をじっと見つめて来るから、僕は言葉に詰まる。見透かされているようで恥ずかしい。
「俺さ、ちゃんとわかってるんだよ、下戸が柿狗のこと大事に思ってるの。でも、俺もそれと同じくらい下戸の事、大事に思ってんだよな。気付いてないだろうけど」
「……つまりそれって、僕が柿狗くんにしてることを、古佐治も僕にしたいってこと?」
「それもあるけど、違う。……お前のこと好きだってことだよ、言わせんな恥ずかしい」
 古佐治は両手で顔を抑えて、机に突っ伏してしまった。本当に恥ずかしいのか、耳まで真っ赤にしている。
 思いもよらない言葉に、僕は頭の中の整理がつかない。
 古佐治は単純に体目当てで言い寄って来てるんだと思っていた。下ネタの話はよくするけど、その対象に僕を考えていたってこと?
 そんなの、考えもしないことでしょう?
「……本気?」
「ばーか、本気も本気だよ。……言うつもりなかったけど、高校ん時からお前の事気になってたし」
「え……」
「引くなよ、傷付く。お前の変態話に付き合うために色々調べてくうちに俺まで性癖似ていったの。スカトロとか尿道責めとか、も、最初は調べてても怖くてたまんなかったわ」
 まさかの告白に、そっちの方が驚きだった。
 古佐治の言う変態話というのは高校卒業してお互い社会人になってから飲みで話すようになったものだ。
 でも最初から割りとマニアックな話も普通に話せて、性癖の趣味も合う奴だと単純に思っていた。
「……なんかごめん」
「いいって、お前とエロトークしてから抜くと最高に気持ちいいし」
 あー、わかる。さっきしたことを反芻して抜くんだよね、それいつも柿狗くんでしてる。
「柿狗のこと考えてただろ」
「え、うん」
 古佐治が、力が抜けたように笑った。
「下戸が柿狗第一なのはわかってんだよ。だから、そこに混ぜてもらえたらな、って思っただけ。だって俺、下戸のこと大好きなんだぜ。下戸のためなら何でもするよ?」
「なにそれ、僕の真似?」
「似てるだろ?」
 それから2人でけらけら笑いながら、結局エロトークに移行した。あのプレイはどうだ、このプレイは、あーしたいこーしたい。
 ポーン。
 携帯にメールが着信する。柿狗くんからだ。
 また真っ白なメールだろうと思って、軽い気持ちで開けて、僕は呼吸が止まるような衝撃を受ける。
「ん、なに?メール?」
 急に喋らなくなった僕を見て、古佐治が声をかけた。
 僕はうんうんと頷くしかできない。
『次はいつ来るの』
 たったそれだけのメール。それなのに胸が締め付けられるようにきゅんと痛んで苦しくなる。
 目頭が熱くなって、泣いてしまった。
 ああ、もう、柿狗くん!!!
「……あのね、柿狗くんを今の柿狗くんにしたのは僕だ。だから僕は柿狗くんに尽くすし、柿狗くんしか考えられない。古佐治の気持ちは嬉しいし、古佐治と話すのも楽しいよ。でも僕には、柿狗くんしか、いないんだ」
 涙を拭って、まっすぐに古佐治に伝えると、古佐治はまた、ふっ、と笑った。
「知ってた」
 さっきの笑みは自嘲だったのか、少し寂しげで優しい言葉に、僕は胸がきゅんと痛む。報われない古佐治が可哀想で可愛いと思ってしまった。
「ごめんね」
「謝るなって。柿狗からだろ?行くのか?」
「うん」
「そ。じゃ、3Pしたくなったらいつでも連絡くれよ」
「あはは、じゃあ、またね」
 僕は忙しなくその場を去る間際、背中にぽつんと言葉が響いた。またね、寂しげな呟きに、僕は振り返るわけにはいかない。


 がちゃがちゃ、バタン!
「柿狗くん!!」
「ひっ?!」
 ポーン。
 柿狗くんの部屋の扉を開けて1番に目に入るベッドに、柿狗くんの姿はない。その代わり、すぐ横で小さな声が聞こえた。
 そして追って、ポケットからメールの着信を告げる音。
 そんな全てを一瞬で把握しながら、僕はパソコンの前に座っていた柿狗くんをとにかく抱きしめた。
「柿狗くん柿狗くん柿狗くん柿狗くん」
 ああ、もう、柿狗くんって言うの舌噛んじゃいそう。でもそんなのどうでもいい、肩口に押し付けた鼻から柿狗くんの匂いを鼻腔いっぱいに吸い込むと、それだけで全てがどうでもよくなる気分だった。
 呼んでも呼んでも呼びたりない。どんなに抱きしめても抱きしめ足りない。
 この3週間分を取り戻そうと身体が柿狗くんを求めていた。
 柿狗くん!
 柿狗くん!
 柿狗くん!!!
「あ…」
 僕とは対照的に、全く事態を把握できていなかった柿狗くんが、今ようやくなにが起こっているのかわかったらしい。
 びっくりさせちゃったかな。でもそんなこと気にしてる余裕もないくらい、柿狗くんを堪能するので忙しかった。
 この腕の中で、温かい熱とドクドク脈打つ柿狗くんの心音。
 本物だ、本物の柿狗くんを今抱きしめているんだ。この3週間、どれだけ想像しただろう。
 柿狗くんの匂い、形、熱。
 それら想像の全てを凌駕するくらい、本物はどこまでも本物だった。会わないなんて馬鹿なことを、どうして僕はしたんだろうね。もうこの手から手放したくない。
 ずっとこのままでいるー!
「う……」
 柿狗くんの手が戸惑いながら僕の頭を撫でた。
 あうう、柿狗くんが僕の頭を撫でている。というか、僕は気付かないうちに泣いていたらしい。
 久しぶりに会った友人がいきなり泣き出したら、それはもう戸惑うと言うか、引くよね。
「ご、ごめんね。なんか感極まっちゃって」
 一旦顔を上げて身体を離し、柿狗くんを正面から見る。
 変わらない柿狗くんの目が僕を見た。
 ああ、やっぱり無理だよ。
 とにかく今は抱きしめたい気分で、柿狗くんを再び抱きしめる。ひたすら心地良い感触だった。
「会いたかった。柿狗くんは?」
「……」
 答えない柿狗くん。
 でもあんなメールくれたんだもの、柿狗くんだって僕に会いたいと思ってたはずだよね。そういえば、この部屋に入ると同時にメールが届いていたっけ。
 あれ、そもそも柿狗くんがパソコンの前にいたのは、僕にメールを送ろうとしていたのかな?僕がポケットから携帯を取り出すと、柿狗くんが僕の手を握った。
「ま、間違えただけだから、見なくていい」
 やっぱり柿狗くんがメール送ってくれたのかな?僕が部屋に入ったとき、驚いて送信ボタン押しちゃったのか。
 でも見ないなんてそんなこと、例え間違いだろうと空っぽメールだろうと、柿狗くんがくれた物は有難く受け取るんだから。
 僕はもう片方の手で、携帯を抑える柿狗くんの手を握って離させる。
 ああ、柿狗くんの指可愛い。抱きしめた時も思ったけど、少し痩せたかな。ご飯あんまり食べれてないのかな。
 目も少し赤い。寝不足か、泣きすぎか……。
「ごめんね」
 僕が謝ると柿狗くんはきょとんとした。何に対して謝っているのか、わからないらしい。
「柿狗くんに会わないなんて、無理だよ。ずっと柿狗くんの事考えてた。ずっと会いたいって思ってた。だから会わないなんて変なこと言い出して、ごめんね」
 僕が言うと、柿狗くんは、ん、と頷く。
 柿狗くんの指をにぎにぎしながら、柿狗くんからのメールを見て、僕はまた衝撃に襲われる。
『もう来ないの』
 柿狗くんを見るとバツが悪そうに目を逸らした。どんな気持ちでこの文(と言うには短い言葉)を打ち込んだのだろう。
 結局柿狗くんから『次はいつ来るの』というメールを貰って家に来るまで、一時間くらいかかった。その間に返信もしなかったから、きっと不安にさせてしまったに違いない。
 いや、一時間だけではない。この3週間、柿狗くんの頭に過っていた考えかもしれない。
 もっと言えば、ずっと、ずっと柿狗くんはこの恐怖を抱えていたのかもしれない。引きこもりの柿狗くんだから、僕が会わないと決めたら、柿狗くんに会わないなんて簡単な事だ。
 そのまま見捨てられるんじゃないかって、きっと考えただろう。
「ごめんね、柿狗くん」
 そんな柿狗くんに、僕は謝ることしかできない。謝って、抱きしめて、教えてあげるしかできない。
「不安にさせちゃったね。でも、約束する。僕は一生、柿狗くんのそばにいるよ。ずっとだよ」
 腕の中で柿狗くんがビクッと震える。
「僕は柿狗くんの事が好きだから。ずっと離れない」
 薬指を絡めて約束する。
 近いうちに指輪を買って、2人で誓いの儀式をしよう。僕は真面目だから、絶対に約束を破らない。
 そんな事を考えていると、柿狗くんの手が僕の手を握り返し、もう片方の手が僕の服の裾をちょっとだけ握った。
 小さな小さな感情表現に、僕はそれだけで満足だった。
 改めて考えると茶番でしかない、生放送の休止に柿狗くん断ち。でも2度と柿狗くんから離れないと学んだから、いい教訓になったよね。
 柿狗くんのベッドで2人並んで、今日は幸せな夢を見た。


終わり