65過去話

「最近柿狗くんの様子がおかしい」
 いつもの居酒屋、奥の半個室、古佐治を前に僕は小さく吐露した。
「おかしいってなにが?」
 古佐治はつまみの枝豆を食べながら僕に聞く。僕はなんと言ったものか、考えながら言葉を選んだ。
「なんていうか……些細なことなんだけど」
「うん」
 僕は最近の柿狗くんの様子を頭に思い浮かべる。
 パンダの可愛い柿狗くん……いや違う、違わないけど、違う。
「まず、生放送があるのかすごく気にするようになった」
「……そりゃ、あんなんいつも不意打ちでやられたら、しんどいだろ」
 当たり前だろ、みたいな顔で言う古佐治。事情を知っているから、話すの楽だなあ。
「そりゃそうなんだけど……生放送始めた頃も、生放送やるのか気にしてた。でも少し経つと慣れてきて、最近はまた気にするようになってきたんだけど」
 古佐治のうんうんという相づちに促されながら、話を続ける。
「前までとは何か違うっていうか。生放送やらない、ってなると、柿狗くんそわそわするんだ」
「そわそわ?」
「うん、僕の方ちらちら見たり、椅子に座ってみたり立ってみたり、すごく落ち着かないんだよ」
「ふーん……」
 そわそわする柿狗くんはすごく可愛いのだけれど、いつもマイペースな柿狗くんが全然落ち着かない様子は見てて心配になる。
「多分、柿狗くんは生放送したがってる、みたいなんだけど」
「んー、話聞いた感じじゃ、俺も同意だなあ」
 やっぱり。僕の考えが当たっていることに安堵すると同時に、次の不安が頭によぎる。
「でもいいじゃん、乗り気なんだろ?」
「そうなんだけどさ……確かに乗り気っていうか。すごい、こう、色気出して誘ってくる感じ、なんだよね……柿狗くんがエッチになるのはいいんだけどさ」
 僕は頭を抱える。ここ最近感じてきた、柿狗くんに対する危機感のようなものがあった。
 今思えば、パンダのパジャマを自ら着ることだってその現れだったんじゃないだろうか。「着たら可愛いよ」と言った僕の言葉に、忠実に従ったのではないか。
「性依存症とかってこと?」
「……」
「まあ、それはあるだろうな。だって柿狗の生活にお前しかいなくて、エロい事ばっかしてるんだろ」
 さらっと言ってのける古佐治をチラッと見てから、僕は盛大にため息を吐いた。
 そうなんだ、そうなんだよ。そうなればいいと思っていた節もある。
 柿狗くんにとって僕が全てになればって。僕に依存して、僕なしでは生きられなくなればいいのに、って。
 本当はそんなわけないのに。
 もともと柿狗くんは僕との関係に依存してきていた。そこに「生放送」という居場所を与えてしまった結果、「生放送でエッチな事をする」事でのみ柿狗くんの居場所があると思ってしまったんだろうね。
 僕がそうさせたのに、実際にそうなると罪悪感に襲われるんだから。僕はなんて酷い人間なのだろう。
「そもそもなんであんな事始めたんだ?つーか、いつから柿狗の垂れ流しに興味持ったわけ」
 古佐治の質問に、僕の記憶が揺り起こされる。柿狗くんとの事を思い出すとき、始まりはいつもあの日の事だった。
 8月4日、僕と柿狗くんが中学2年生を過ごしていた、夏休みのこと。
 他人にとってはなんてことのない、僕と柿狗くんにとっては、その後の人生を狂わせる、出来事。
 僕と柿狗くんは小学校からの友達だった。


 その頃の柿狗くんは活発でおしゃべりで、子供らしい笑顔が似合う、可愛らしい子供だった。お互いを名前で呼び合い、1日の大半を共に過ごす、いわゆる親友というやつだ。
 当然のごとく夏休みも一緒に過ごしていた僕たちは、いつも待ち合わせ場所にしていた公園に、いつものように待ち合わせた。
 まるで神様のいたずらのように、その日の僕は何もかもがうまくいかない日だった。朝から寝坊したり、靴紐が切れたり、神様はなんとかして僕を柿狗くんとの待ち合わせから遅らせたかったみたいに。
 午前10時の待ち合わせに遅れること30分。待ち合わせ場所の公園の大時計前に、柿狗くんはいなかった。
 当時携帯なんて持っていなかった僕たちは連絡を取り合うこともできない。柿狗くんが遅れることはままあったけれど、僕が遅れることはなかった。
 柿狗くんは帰ってしまったのだろうか、それとも僕の家に迎えに来て入れ違えたか。
 そんなことを考えていると、足元にカードが落ちている事に気付く。
 柿狗くんと僕が集めていた、流行りのバトルカードだ。柿狗くんはマメな子だったから、カードの隅に名前を書いていた。前に盗まれたこともあったしね。
 カードの隅に書かれた、柿狗くんの名前。柿狗くんが大事なカードを放ってどこかに行くなんて考えられない。
 もしかしてどこかにいるのかな?僕は公園を見回した。
 そこは広い公園で、中央の広場を囲うように木々が植わっている。林のようになっている木陰の暗がりでは、昼間でも不気味なところだった。
 後から知ったのだけれど、その公園はいわゆるハッテン場所として有名だったらしい。
「ーーー」
 耳に微かに届く、聞き覚えのある声。間違いなく柿狗くんだった。
 どこだろう、辺りを見渡して、もう一度聞こえた声の方に目をやる。
 数メートル先、腰ぐらいの高さの垣根が植えられた奥、林の暗がりの中。
 柿狗くんと目が合う。
 知らない高校生くらいの男、3人に手足を抑えられ、泣きじゃくる柿狗くん。事態の把握が出来ない僕はそこから動けない。
「ーーっやだ、ーーして、あっ、あっ」
 柿狗くんは必死に高校生たちの手を振りほどこうとしているけど、力で敵うわけもなかった。泣きながら頭を振って、なにかを我慢している様子。
 夏の日差しがじりじり照りつける中、僕は暗がりの柿狗くんをじっと静かに見つめた。
 動けなかったのか、動かなかったのか。
 僕は柿狗くんから目を離せなかった。
 助けてと、数メートル先で僕にすがる、柿狗くんの目を、ただ見つめた。
「やだっあ、やだっあー、あーっああっ助けて、たすけてーーー」
 一際大きな声を上げたあと、柿狗くんが静かになる。高校生たちは、おおすげえ、とか、うわーマジで漏らしちゃったよ、とか言ってる。
 僕の目にも見えた。
 短いズボンの股間部分が濡れて、足を伝って落ちていく水。
 柿狗くんは漏らしてしまったのだ。
 柿狗くんは声も出せずに泣いた。
 高校生が手を離すと、柿狗くんはその場に座り込む。高校生たちはそれで満足したのか、柿狗くんの頭を撫でて、その場からいなくなってしまった。
 僕はしばらく、蹲り泣き続ける柿狗くんを見つめた。
 股間が熱を持って仕方なかった。柿狗くんに対する罪悪感、自分自身に対する嫌悪感、そして拭い用のない高揚。
 僕は柿狗くんの漏らす姿に欲情したんだ。
 そのあと僕は柿狗くんを家まで送ってあげる。
 濡れた部分を隠すために、水飲み場で柿狗くんの身体全体を濡らして、僕がそうしたんだと柿狗くんのお母さんにも嘘をついて。
 次の日、柿狗くんは待ち合わせ場所に来なかった。柿狗くんの家に行っても、柿狗くんは出てこない。窓からチラッと覗いた、生気のない暗い目をした柿狗くん。
 僕は柿狗くんの家の前に行っても、家のチャイムを押すことが出来なかった。
 そのまま会えない夏休みが終わっても、柿狗くんは学校に現れなかった。柿狗くんはその頃から、家を出られなくなってしまったんだ。

「だから、柿狗くんが今の柿狗くんになったのは僕のせいなんだ」
「知らない奴から性的暴行受けたのは下戸のせいじゃないだろ」
 だから気にするなよ、古佐治はそう言いたいのかもしれない。
 でも違うんだ。
「柿狗くんが本当に傷付いたのは、柿狗くんが泣き叫んでも僕が助けなかったことだよ。だから柿狗くんは今でも、僕の名前を呼ばない」
「そりゃ考えすぎだろ」
「事実だから」
 被せ気味に言った僕に、古佐治はため息をついた。僕もビールを一口飲む。もうぬるくてまずい。
「そんで、引きこもったのはわかったよ。それからお前はどうしたの」
「……柿狗くんから表に出てくることはなくなったから、僕が柿狗くんの家に通うようになった。最初の頃は本当に拒否されてたし、喋るようになったのもほんと、ここ最近なんだよ」
 夏休みが明けて学校が始まって、柿狗くんが不登校になってからの日々を思い返す。
 罪悪感が強すぎて柿狗くんと顔を合わせるのも怖かったっけ。それでも通い続けて、なにもしないで時間を過ごして。
 柿狗くんはなにも言わないから、それを察してあげようと必死だった。
 だから柿狗くんがわがままを言ったり、あーしたいこーしたい言ってくれるのが僕には嬉しい事だったりする。
「高校一時期通ってたじゃん。すぐいなくなったけど」
「お勉強は出来たからね。でもまあ、やっぱり結構無理してたみたいだよ」
「まあトラウマになるわな」
 毎朝柿狗くんの家に迎えに行った事を思い出す。
 いつも顔色が悪くて、無理することないのに学校に行こうとしていた。柿狗くんは高校生になっても、心は中2の時で止まっていたのか、同級生なのに「高校生」が怖かったのだと思う。
「柿狗にとっては最悪の過去みたいだけど、お前にとってはそうでもないんだ?顔にやけてる」
 古佐治に言われてハッとする。そういうわけでもないだけれど。
「……不謹慎かもしれないけど、不登校になってから柿狗くんを独占してたようなものだからね。僕だけの柿狗くんみたいで……うん、嬉しかったのかもね」
 柿狗くんを独占して嬉しいなんて、僕わりと病んでるなあ。
「病んでるな」
 呆れたように笑う古佐治も同意見みたいだ。
「んじゃ、なんで急に生放送始めたんだ?」
「んー……さっきも言ったけど、柿狗くんて殆ど喋ることもしなくなってね。外にも出られないし。僕は僕で、柿狗くんのお漏らしがずーっと忘れられなくて」
 つまみの冷や奴を食べ終わってしまうと、古佐治が自分の分を僕にくれた。お豆腐美味しいよね。
「柿狗くんが何か変わるきっけになればな、って思ったのと、あとは単純に僕の趣味だよね」
「トラウマ掘り返すような事なわけだけど」
「まあね。でも柿狗くんの引きこもりの原因て僕が無視したことなわけだけど、あとはやっぱりお漏らししたのも引っかかってるんだと思う。だから僕が日常的に無理やりさせちゃえば、少しは和らぐのかなーって」
「すげえ荒療治だな」
 ほんと、荒療治。今思えばもっと壊れてしまってもおかしくなかった。
 生放送を始めた時期のことを思い返すと、あの頃は柿狗くんが壊れてしまってもいいと思っていた。
 なんとなく、触れないようにしている2人の関係に飽きていたのかもしれない。
 柿狗くんの事は好きだったけれど、それだけだった。
 それが生放送をきっかけに、少しずつ変わっていった。無理やりに柿狗くんの言葉を引き出して、少しずつ柿狗くんの感情が戻ってきて。
 今はもう、前よりもずっと愛しくて、大事で、かけがえのない存在になっている。
 だからこそ、最近の柿狗くんの変化が恐い。
「おかしいよね。僕が求めたのに、柿狗くんが求めてきたら怖がるなんてさ。でも拒否したら、柿狗くんをまた傷付けちゃうでしょ?どうしたらいいのかな」
 もう、一度柿狗くんを見捨てたんだ。だから二度と柿狗くんを見捨てたくなんてない。
 けれど、セックスで、性行為でしか僕からの愛情を感じられなくなってる柿狗くんを見るのは辛い。
 僕はただ、そばにいられればそれでいいのに。なんてわがままだよね。
「お前はどうしたいの」
 古佐治が僕に聞いた。
「お前っていつも強引なのに、変なとこ弱腰なんだな」
 なんだか、似たような事を柿狗くんにも言われたような気がする。
 でも、どうしたらいいのかわからない僕はなんと答えることもできない。
 どうしたいの?僕は柿狗くんと、どうしたいの?
「お前がしたいようにしたらいいじゃん。拒否されても柿狗ん家に通い続けたんだろ?また同じこと、してやればいい。そんなの平気なくらい、ちゃんと、好きなんだろ」
 じわっと胸が熱くなる。
 僕は時々自信がなくなることがあるけれど、古佐治が僕の背中を押してくれる。
「古佐治……いい奴だな、お前」
「ちなみに俺は身体だけの関係でも」
「よし、柿狗くんの家行こう」
 僕が言うと、古佐治は苦笑するから僕も笑い返した。
 はいはい、行ってこいよ、と言ってくれる古佐治の優しさに泣きそう。
「ありがとう、古佐治が僕の友達で、ほんとよかった」
「どーいたしまして」
 僕は古佐治に背中を押されて、その場を後にした。ありがとうとしか言えないのが、少し心苦しかった。