3/31 土曜日 晴れ

 携帯のアラームで目が覚めた。
 右手がまだ真崎の左手と繋がっていることに安心する。
 携帯の画面は見なくてもわかっていた。今日は、待ちこがれていた筈の、その日だったから。
「真崎」
 小さな声で囁く。
 聞こえなくていい。聞こえてていい。
 俺はただ、口に出して言いたかった。誰かに。
「今日は俺の命日なんだ。外は雨が降ってるか? 俺、雨の日は嫌いじゃないんだ。だから、死ぬときは雨がいいんだ」
 小声で、聞こえないように伝える。
 最近の俺は矛盾だらけだった。聞こえて欲しいのに、聞いて欲しくない。生きたくないのに、死にたくない。
 真崎のせいで、矛盾だらけだ。
「俺、死んでる?」
「生きてるよ馬鹿だな」
 ぎゅっと抱きしめられた。顔が見えなくて、ちょっと助かる。だってきっと、驚いて変な顔してたよ、俺。
「生きてるよ、長谷生きてる、死んでない」
 よかった。と、こっそりため息と吐き出した真崎の言葉が少し嬉しい。
 真崎の、俺の手を握るその手の温かさで、俺はそのまま二度寝してしまった。
 意識が途切れるまで、その温かさは続く。

 昼ぐらいに目覚めると、隣には真崎がいなかった。枕元に置き手紙があって、リビングにいるから起きたら呼んで、と書いてある。
 真崎の字は少し下手な、でも読みやすいものだった。
 たった少しの距離なのに、俺は不安になって、安心した。
「ん、起きたか、長谷」
 リビングに行くと、真崎がソファーから振り向いて言った。俺はこくりと頷く。
 真崎に手招きされたので、ソファーの真崎の隣に座る。
「具合どうだ? 気持ち悪かったりとかないか?」
 まるで病人みたいに俺を扱う真崎に、少し笑って、平気だと返した。でも、数日前は病院に運ばれたことを思い出した。
 この1ヶ月は、死ぬことが目的だったのに。
「俺、死ねなかったね」
「死ななくてよかった」
 真崎が俺の手を握った。こんな話をしてるせいか、俺たちはどうしても目が合わせられない。でも俺たちの視線はどちらも繋いだ手で、これってある意味目が合ってるのだろうか。
「長谷。今まで辛かったな。明日からもまだきっと辛いかもしれない。だけどこれからはおれがいるから。この一年、長谷は一人で頑張ってきたんだ。でもこれからはおれがいるから。なあ、長谷が好き、大好きだ、すっげー好き。笑えるくらい好き。笑って泣いて、怒りたくなるくらい好き。長谷、大好きだ」
「……っ」
 好きの意味がわかった気がした。前に言われたときは、俺は好きじゃなかったから理解できなかったんだ。
 今は、好きって、わかる。
 そう思うと耳まで熱くなるのを感じた。顔を上げることも、声を出すことも出来ない。
「……恥ずかしいな、告白って」
 真崎が照れながら笑って言った。俺はまだどきどきしてる。繋いだ手から、心音が響いてしまわないだろうか。
「長谷の、感想は?」
 真崎が、俯いた俺にこつんと頭をくっつける。俺はのどがからからに渇いた気分だった。やっと出たのはかすれた小さな声。
「……うれしい」
 もっと言葉を繋げようとしたのに、喉が詰まって声が出なかった。
 代わりに、涙が出た。全然止まらない。止めようとすればするほど出てきた。泣くつもりなんかないのに。
「涙は我慢しなくていいんだぞ。嬉し泣きなら、泣きすぎて笑っちゃうまで泣けばいいし。苦しくて泣くんなら、疲れて眠くなるまで泣けばいい。な?」
 真崎が空いてる方の手で俺の頭を撫でた。
 俺の涙がどっちの意味なのかわからなかった。だけど、最後には笑えたから、多分嬉し泣きだ。

 兄貴の連絡先だけメモをして、携帯を壊す。俺が自分の手で。真崎からのメールが消えるのは惜しかったけど、真崎はこれからもっと話ししようって言ってくれた。
 今家がどうなってるかわからない。誰かが勝手に入ってるかもしれない。
 俺の状況は、変わってない。家に帰ればまた前と同じ事が起こるかもしれないし、学校でも変わらないはずだ。
 だって俺が変わったのを、誰も知らないから。

 また、死にたいと思うときは来るだろう。だけどきっと俺は、生きていける気がした。
 だって、「死にたい病気」が「生きたい気持ち」で治ったんだから。
 病は気から、治らない病気は治った。
 生きたい
 生きたい、
 そう思えることが嬉しい。
 ありがとう、真崎。俺は今、生きている。

 ありがとう

END